The California republic versus President Trump. One year into…

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The California republic versus President Trump.

One year into his administration the world’s sixth largest economy fighting the Trump administration on everything from policies on legal marijuana, taxes,environment, and, immigration"

http://edition.cnn.com/videos/tv/2018/01/17/lead-miguel-marquez-dnt-jake-tapper.cnn
…最初の宣伝がスキップできないのが辛いですが(PC版)耐えて下さい。。;)

…“世界第6位の経済が、トランプ政権と戦っています:カリフォルニア・リパブリック(共和国)です!”
というわけで(笑)

カリフォルニアの歴史をWikipediaで見ても、ちゃんと、

“カリフォルニア・リパブリックとアメリカの侵略”

という項目がありますね。。;)

いや、トランプのニュースにはうんざりだけど、
アメリカの底力というものはまだまだ、尽きてはいない。

それでは、アメリカと、自由世界の明るい未来を信じる意味で、
このポスト、最後にBeyoncéによるAmerica the Beautifulを聴いて下さい;)

yuichihiranaka:
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…あの夏、ベルリン。。
2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
ようこそ、旅行記と文学論の、ナラティヴな“街の迷路”へ。

『ベルリン日和』
“A moment.” …それは《気づき》の時。

作品についてのコメントはこちら

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/170303706618

Comme une fille… Double standard moins évident qui complique…



Comme une fille…

Double standard moins évident qui complique les choses…
Quellques réflexions sur la situation japonaise à ce propos.

僕はアーティストとしてのアイデンティティから、常に多数派ではなく少数派、体制ではなく非体制、強い者ではなくより弱い者にアイデンティファイし、個人主義を擁護するのがより自然、
そうでなければ、全体の構図を見誤っているのだ、と思っています。

そういうわけで、この広告をフランスのTVで見た時は、やはり印象づけられました。

Always #CommeUneFille https://youtu.be/uRjXDixe15A

*女のコみたいに*、、、
女のコみたいな走り方、投げ方、打ち方、etc., etc.
つまり、ちゃんとできてない、という悪い意味。
そうではなくて、この表現にポジティヴな意味を持たせよう、という意見広告です。

女のコみたいに、例えば走る、というのは精一杯走ること、
女のコみたいに、というのは自分らしくあること、
だって私は女のコなんだから、ということばには、
ちょっと、ホロリとするものがあります。

少し以前のこちらの広告も思い出しました:

Ban Bossy http://bit.ly/1TzWGYy

bossy、stubborn、pushyという、女のコにイニシアティヴをとらせず封じ込めようといういい方を廃そう、ということですが、
bossyはbossっぽい、親分気取り、というところでしょうか。
なんといっても印象的だったのは、このBeyoncé。

“I’m not bossy: I’m the boss!”

まさにはまり役、という感じがしました;)

3月8日はInternational Women’s Day、とのことで、
翻って、日本でのフェミニズムの社会への広がり、ということを考えると、
なかなか難しいものがあるようにも思います。
これは、先ほどの、ちょっとホロリとする、というところにもつながるのですが、
日本のように、男であっても自分の考えを控え、周囲をうかがい、
人と違っていたり、違ったことをして失敗したら、ここぞとばかり、吊るし上げられ、袋叩きにされる。
そういう見せしめと、恐怖、それだけの力で、なんの理念もなしに、社会の枠組みを維持しようとしている。
そんなこの国の中で、さらに女のひとであれば、
ますます、フェミニズムといった世界の流れからは乖離してしまう、
距離を置いてしまって当然ではないか、というようにも思うのです。
状況にあわせて長いものに巻かれる、それこそがいちばん*賢明*なことなのだ。
男女を越えて日本人は、絶え間なくそんなメッセージを刷り込まれ続けている。。。
殆んど*洗脳*に近いですよね;)

もうひとつ、こういう論争的なヴィデオも目に留まりました:

Une campagne dénonce le sexisme dans la pub http://bit.ly/1TzWZT0

これは僕は80年代からずーっといっていることですが、
たしかに女性の性の商品化、という問題はひとつ大きくある;
しかしその根っこには、人間それ自体の商品化、という問題もあるわけで、
たとえば、この世の中のおよそ全ての男性が、人格など社会からは問題にもされず、ただの会社の仕事をする機械として、
能力や体力や時間を給与と交換しているわけでしょう。

ましてや現在のクラウド商法(*こちらを参照)で
*消費を掘り起こす*ことが素晴らしい!とされる現代は、
社会のほとんどの人たちが、高度に再編成されたある種の年貢を納める封建農奴、
実質、*奴隷*にさえ近い状態におかれている。。。

そしてそれに異を唱えると…もはやこの社会の中には身の置き場もない、というようなことになっているのではないでしょうか。

女のコが女のコであること。女性が女性であること。
自分が自分であることは、常に闘いでしかないのでしょう。
愚かしく、損ばかりする、勝ち目のない闘い、かもしれません。
しかし僕は、そこで闘う人たちに、その勇気に、やはり胸を打たれるのです。


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SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/140625920595