チッコリーニ、語る チッコリーニといえば、当時はまだブームになっていなかったエリック・サティの全集を録音したことで初めて知った、…



チッコリーニ、語る

チッコリーニといえば、当時はまだブームになっていなかったエリック・サティの全集を録音したことで初めて知った、という感じですが、特にサティのスペシャリスト、というわけではなく、忘れられた過去の音楽を網羅的に録音するのが好きだったようです。

こちらはどうしてショパンを長い間弾かなかったのか、と訊かれたチッコリーニの答え。
コルトーの引用を含めた最後のところがなかなか厳しいので、クリップしておきます:

Je l'ai simplement moins joué en récital. Le public s'est fait une idée stéréotypée de ce compositeur, modèle du romantique phtisique portant son coeur en bandoulière, avec des langueurs et des poussées de fièvre nationaliste. J'ai eu peur à mon tour de tomber dans cette caricature, de l'exposer à cette déformation tentante, puisqu'un interprète peut projeter dans cette musique toutes ses angoisses : à mon âge, en faire une sorte de confesseur ne m'intéresse pas. A ce propos, Alfred Cortot avait une phrase très juste, qui sonne comme un avertissement : « La musique n'est pas une poubelle dans laquelle on jette impunément ses échecs personnels. »

– Aldo Ciccolini https://www.telerama.fr/musique/entretien-avec-le-pianiste-italien-aldo-ciccolini-le-public-applaudit-a-n-importe-quoi,122348.php

曰く、ショパンの音楽には演奏者の苦悩をみんな投影することができる。 
この歳になると、汚れた魂を告白することに興味はない。
コルトーの警告した通りだよ:音楽は、ゴミ箱じゃない。罰を受けることなくそこに個人的な失敗を抛りこめるものじゃない。

…チッコリーニの晩年のショパンがYouTubenにあったので、これもクリップしておきます:

CHOPIN Nocturnes op.62 n.1 et n.2

…びっくりするくらい、遅い(笑)

しかしチッコリーニにいわせると、interprétation、解釈、演奏者の自由、とは、

Q: Où est, alors, la liberté de l'interprète?

Dans sa liberté d'exister tel que la nature l'a fait ou comme l'homme qu'il a voulu devenir. Si l'on demandait à dix pianistes d'interpréter les mêmes dix mesures en tenant compte de tous les signes, pas un ne jouerait de la même manière. Parce que ma pulsation cardiaque est différente de la vôtre, et votre circulation sanguine différente de la mienne. Et je ne parle pas de notre état psychologique.

http://www.lefigaro.fr/musique/2013/02/08/03006-20130208ARTFIG00471-aldo-ciccolini-la-musique-est-un-jeu.php

人により、心臓の鼓動の打ち方のような生理的な条件は違う、それが演奏に反映されるもので、心理的なものではない
…つまり、あくまでも身体性によるもので、精神の問題ではない、という立場ですね;)

これを読んで、ふと思いついて調べてみたのですが、やはり、安部公房は1924年生まれでした。
そしてチッコリーニは1925年生まれ。
どうも僕は子どもの頃、この世代のインテリの考えに、かなり影響を受けたようです:
安部公房の演劇論を読んだのは多分1979年前後だと思いますが、とにかく人物を演じる時に、その人物の心理を想像し、共感し、そこに感情移入して演じる、というような方法論を、徹頭徹尾否定しているのが安部公房のメソッドで、当時は真面目に芝居をやっていたこともあり、感情を作って演じる、ということを当たり前に考えていた、むしろそれ以外に道があるとは考えていなかったために、価値観を全否定されるようなインパクトがありました。

例えば音楽でも、文学でも、情緒や共感に頼って作品を捉えよう、ということに、僕が非常に懐疑的なのは、
一つには、日本の国語教育が、文学教育ではなく、
そんなのそっちのけで、
文章の書き手の意図を想像する訓練を通じて、人の気持ちを思いやることのできる日本人の情操を育てよう、という一種の国民化教育、実用教育を行ってきたこと、

今日の多様化する価値観を、消費促進の見地から否定はせず、
しかしその結果生まれてくる様々な問題には、
具体的な解決策を与えることなく、

ただひたすら共感力をブクブクにフォアグラ化させて、
その非言語的、非論理的、非科学的な、
つまり客観的には説明不可能な力=オカルト的な力によって対処しろ、という。
*思い*(ということばが、今の日本では異様に連発されますが…;)の力で 一念岩をも通せ、とでもいうような、精神論で解決しろ、というようなことになっている。
こういうことには、どこまでも異を唱えるほかない、ということもありますが、
その一枚下、大元には、
このチッコリーニの世代の人たちの、非常に厳しい考え方の影響があったんだなぁ。。と改めて思いました。

チッコリーニの考えでいくと、さらにはこうなります:

« Un artiste ne doit pas avoir de personnalité, provoque-t-il dans un sourire. Comme un acteur qui un soir incarne Othello et le lendemain Armand Duval, le musicien est un transformiste. Et certainement pas une superstar ! »

https://www.la-croix.com/Archives/2009-12-18/Aldo-Ciccolini-flamboyant-doyen-du-clavier-_NP_-2009-12-18-360354

アーティスト(演奏者)というのは、パーソナリティ、個性など持ってはいけないもなのだ、と。
今日の日本の教育を受けて来た人には、これもまた、ほとんど価値観をひっくり返されるようなようなことば、かもしれませんね。。;)

アルド・チッコリーニの芸術(8CD) amazon | 輸入元情報 hmv.co.jp
〜入手困難となっていた晩年の録音を中心としたボックス・セット。

yuichihiranaka:
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…あの夏、ベルリン。。
2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
ようこそ、旅行記と文学論の、ナラティヴな“街の迷路”へ。

『ベルリン日和』
“A moment.” …それは《気づき》の時。

作品についてのコメントはこちら

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/179514909639

…友人の死を乗り越えるために作った、というIgor Levit新作。 詳細は、hmv.co.jp…



…友人の死を乗り越えるために作った、というIgor Levit新作。

詳細は、hmv.co.jp 輸入元情報にて。

バッハや、リスト編のトリスタン、愛の死などの他に、ビル・エヴァンスも弾いています!

Igor Levit - Life cd | mp3 - Peace Piece

この曲、左手のパターンに、ピアノ・ファンならおそらくショパンのベルスーズ、子守唄を連想するところで、
エヴァンスの中でも、クラシック・ピアニストには特に親和性の高い曲のひとつ、といえるかもしれません;)

…しかし、こうなると、昔、ジャン-イヴ・ティボーデの時にも書きましたが;)Bill Evans本人の演奏が聴きたくなるもの。。

…いや、バッハやリストはさておき、
やっぱり、餅は餅屋、といいますか(笑)
結局、ビル・エヴァンスっていうのは、本当に偉大なピアニストだったんだなぁ。。
と、まぁ、ごくごく月並みな結論になりますが;P

Bill Evans cd | mp3 - Peace Piece

…なお、イゴール・レヴィットはtwitterフィードも結構面白い:

https://twitter.com/igorpianist/media?lang=fr

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/179276601594

Shover, grabber and cheater. There could be a fine line: this…



Shover, grabber and cheater.

There could be a fine line: this is not what most men could do once in a while. I’ll explain the difference, not for women, but for men who don’t really get it.

大統領在任中は罪に問えない、との持論をTに買われw 米最高裁判事に任命されつつあるKavanaugh(笑)

30数年前、この人が17才の時、無理やり押し倒されたが未遂に終わった、という一女性(当時15才)の告発で、絶対確実のはずの任命が揺れていますね。

この報道に、高校時代といえば、自分も女のコを押し倒してしまったことがある…と冷や汗をかいた男性も多いのでは? でも、ここには細くともはっきりとした違いがある、と思うのです…。

Go! Go! Girlsという大長篇ナンパ小説の元著者として(笑)
その押し倒すと、この押し倒すは、実は押し倒すがまったく違う、
という非常に判りにくい話を書いておきます。

むしろ男性の皆さんに読んでいただき、*静かな共感の輪*を広げていきたい、と思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします;)

こちらにて。Shover, grabber and cheater. - medium.com/@yuichihiranaka

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/178509316457

なんなんだ、このノリ、凄くない??。。 via Cristian Budu, Clara Haskil Prize 2013…

Cristian Budu


なんなんだ、このノリ、凄くない??。。

via Cristian Budu, Clara Haskil Prize 2013 | Chopin: Préludes, Op. 28 - XVI. Presto con fuoco - YouTube

ブラジルのピアニストらしいが、やっぱりブラジルのミュージカリテは凄いのか。。

Cristian Budu - Chopin & Beethoven amazon | hmv.co.jp


なにしろ、名前もブードゥ、ですから。。w

もう、踊り出すようです。。;)

**HPでこの春大ショパン特集をポストしたところなので、このディスクも紹介しないつもりでしたが、Mediumポストの関係で、急遽こちらにクリップしておきます**

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/178141054386

何故シューベルトにヴィデオ・クリップが必要か。 Why Schubert needs promotion video?…



何故シューベルトにヴィデオ・クリップが必要か。

Why Schubert needs promotion video? I’ll tell you why. — なぜかフランスでも日本でもほぼ無名、アメリカの21世紀型スター・ピアニスト、シモーヌ・ディナースティンに関する簡単なイントロダクション。

***Mediumポストより転載:全文はこちらをご覧ください!***

アマゾンのCDチャート、といえば(前回のポストW杯で狂喜乱舞のフランス-その時CDチャート1位はコルトレーンだった参照)

こちらはamazon.com、さすがに最高4位だったようだが、総合チャート(cbsnews.com)、クラシック・チャートではビルボードで堂々第1位を獲得した2007年のデビュー盤以来、アメリカでは新時代のスター・ピアニストとなったシモーヌ・ディナースティン Simone Dinnerstein 。ラジオで新譜が出ると紹介されていたので、ふとyoutubeもみてみたところ、2011年のアルバム、Something almost being saidのプロモーション・ヴィデオが目を引いた。

これはやはり、クラシック音楽のプロモーション・ヴィデオ、これまでに観た中では——そもそもそう数多くは作られていないにせよ!——最も素晴らしい仕上がり、といえるのではないだろうか:

Simone Dinnerstein - Something almost being said: Music of Bach and Schubert - EPK

…流れているのは、シューベルト。シューベルトの音楽が好きな人は、いまさらプロモーション・ヴィデオなどいらない、と思うかもしれない。しかしこれまであまりシューベルトのピアノ曲に興味がなかった、という人は、この映像をみて、その魅力に気づく、というようなこともあるかもしれない。

周知の逸話ではないか、とも思うが、フランスでも日本でも意外に有名ではないようなので、ディナースティン、そのビルボード1位のデビュー盤というのが自主制作、しかも演目はバッハのゴルトベルクだった、といえば、初耳なら「えーっ!」と驚く人も多いはず。

当然このデビューの経緯はいまや“伝説化”されつつあるが、これにはさらに先立つ伝説がある。そう、もちろんグレン・グールド、55年のデビュー盤だ。LP時代に不可逆的な影響を与えた1枚として、当時を知る人はいまだにその衝撃を語ろうとするし、より若い世代にもグールドを現代のカリズマティックなアイドル、アイコニックな存在と捉える人は少なくないのではないか。

いうまでもなく、このグールドのデビュー盤こそ、当時は地味な作品と思われていたゴルトベルクを颯爽と弾きこなし既成の印象を鮮やかに打ち壊したものだった。以来ゴルトベルクは人気曲になったが、全ての演奏がグールド盤と比べられることにもなり、結局81年にグールドが同曲を再録音して今日に至るまで、商業的な成功を収めたピアニストの中に、ことこの曲、またバッハのピアノ演奏に限っては、グールドの呪縛から逃れ得た者はひとりとしていない、といっても過言ではないだろう。

それだけでも、ゴルトベルクをデビュー盤に(しかも自主制作盤に!)選ばない理由はもう十分以上にある。NYTの当時の記事の書き出しが、そのあたりを巧くまとめている:

“大人になったらピアニストになりたければ、小さい時から始めなくてはいけない。ジュリアード音楽院を中退してはいけない。コンクールで優勝しなくてはいけない。30を過ぎて、マネージャーもいなくて、自分でお金を集めてレコードを録音してはいけない。そして絶対にニューヨークのデビュー・リサイタルのプログラムに、ゴルトベルクを選んではいけない。シモーヌ・ディナースティン、 34歳、彼女はそんなルール・ブックの全てにことごとく反することで、成功を掴んだ。

…まぁ、ざっくり訳、ですが;)

アメリカでは、一度失敗した人が成功を勝ち取る、という*物語*は、無一文から夢を叶えることやサヴァイヴァルなどと並んで、アメリカン・ドリームという社会的な“神話”を維持する上で不可欠なため、一クラシック・ピアニストという以上にディナースティンが特に大歓迎された、という部分はあっただろう。(ちょうど日本のニュースで、本当に*思い*が強かったからこそ、その*思い*が届いて実現が叶った、のかも…みたいなお話が、飽くこともなく日々churn outされているのと同じ、ですね;)

しかし、正確なことはたとえば上述のNYTの記事などを読んでいただくとよいのだが:Simone Dinnerstein—How Do You Move a Career Into High Gear? By Breaking the Rules—The New York Times

4歳の時ピアノを買って欲しいというが、父親は画家で音楽に疎く、代わりにリコーダーを貰い、結局ピアノを始めたのは7歳と、プロになるには致命的に遅く、中学の時ロンドンでいいピアノの先生に出会うが遠くに行くには若すぎると反対され、18で結婚してジュリアード音楽院も中退、コンクールを受けれど通らず、ピアノを教えながら老人ホームや刑務所で演奏し、ついにオーディションに通ってデビュー・リサイタルを開ける話になったのに妊娠に気づいて子育てを選択、そこからグールドの演奏で好きになったゴルトベルクを自分なりに勉強し始め、小学校教師の夫や犬と暮らしながら、出産後、家族や友人からカンパを集め、自費でレコーディング、自主デビュー・コンサート…

彼女の人生の“あらすじ”を、ここでこうざざっとまとめておいたのは、そんな全てが、上のプロモーション・ヴィデオに詰め込まれているから。

最初からもう一度見てみてください。ピアノと息子の笑顔に始まり、画家のお父さんもいる、お母さんもいる、子どもの頃からの写真、夫もいる、家族の歴史があり、笑い声が聞こえ、そして最後に再び、音楽を生み出す彼女のchubbyな両手に帰っていく…

結果的に、たとえパラテクストを知らなくても、十分感動的な映像になっているのではないだろうか。

 ・ ・ ・

さて、肝心の音楽、だが;)

まずこれまでゴルトベルクをほとんど聴いたことがない、どこかで聴いたことがあるかなぁという程度、という人は、普通にいきなり、その問題のデビュー盤

Simone Dinnerstein — Goldberg Variation

これを聴いたらいいと思う。

またバッハが大好き、好きな音楽はゴルトベルク!!という人も、じゃあさらにもう1枚どうですか?ということで、素直にこのデビュー盤を真っ先に聴いてみるといいだろう。

しかしあるいは問題なのは、むしろある程度のレフェランスはあるが、バッハ・マニア、ゴルトベルクの大ファン、というわけではない場合。

いきなり「いやー、ゴルトベルクの新しい録音があるんだよ」とかいわれても、やや腰が重いのではないだろうか。だって、何しろゴルトベルク。 *名盤*なら、もういっぱい聴いたよ、というのが率直な心境、だろう。

そこでひとつ提案だが(笑)…

***続きはMediumへ!!***

Simone Dinnerstein — Bach: Inventions & Sinfonias CD | mp3

Something Almost Being Said: Music of Bach and Schubert

#クラシック

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/177161848196

…このNY Dailyの1面の風刺漫画、いつか歴史の教科書に載ったりして。。;) 第1章 21世紀初頭の国際社会〜 第3節…



…このNY Dailyの1面の風刺漫画、いつか歴史の教科書に載ったりして。。;)

第1章 21世紀初頭の国際社会〜
第3節 「アメリカ帝国主義(パクス・アメリカーナ)の終焉」

…(笑) 第1節は 9/11〜「対テロ戦争」とアラブの春
ということで、西側社会とインターネットの希望を描き、
第2節はシリア内戦、ISの台頭と難民爆発、新ロシア南下政策から2016年のパリ・テロまでの西側民主主義文明の衰退を描くと、どうでしょうか;)

今回アメリカのジャーナリストが(さすがにFoxNewsも含めて)
怒っているのは、トランプがサミット後の記者会見でいつものお決まりの論法を使った、
つまり、批判を受けた時に、でもあっちにも悪い奴はいるじゃないか、あっちのほうが悪いじゃないか、と人の話にすり替える、という中学生的なものですが;)
それを今回、
ロシアが悪い悪いっていうけど、アメリカだって悪かったじゃないか、とやってしまった、
つまり、外国を侵略し、報道を規制し、選挙を操作し、外国で人を暗殺する、そんな国とモラルの点で同等に扱った
それがアメリカ人の逆鱗に触れた、ということだと思います。

いうまでもなく、トランプに与するつもりはまったく僕はありませんし(笑)
フランス人の友人にも、時々お前はアメリカ人だからなぁ…と嫌味をいわれたりするくらいで、アメリカや英語には、おそらくかなり親しいほうだと思うのですが、
今回の件はしかしふと、いや、それはそれでもいいかもしれない、、などと思ったりもします。
その心は(笑)
アメリカって、いつでも自分が正しい、っていう
まぁ、はっきりいって子どもじみたところがあって、
そこがアメリカらしいんだけど、アメリカ人と付き合っていても、ちょっと疲れちゃうところでもあった、
だいたい、いつも自分だけは絶対間違っていない、なんて、
僕が子どもの頃の日本共産党みたいなもんで、
やっぱりどこかちょっとおかしい(笑)

これからアメリカと、アメリカ中心で進んできた西側世界がどうなるかは大問題ですが、
長年の1アメリカ贔屓としては(笑)
もしかしてアメリカは、こうして図らずも、肩の重荷を降ろして、ちょっと楽になったりするのかね。。
などと思ったりもするのです…;)

(Image via Après le discours de Trump aux côtés de Poutine à Helsinki, les démocrates et plusieurs républicains scandalisés - huffingtonpost.fr)

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2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
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Go Blue! Go! または、どうして日本人は議論ができないのか? Did you hear that one of…



Go Blue! Go! または、どうして日本人は議論ができないのか?

Did you hear that one of the hottest topics in Japan this spring is college football? Yes. College football (in all caps, if needed).
Ok. Let me get that straight.
Have you guys, in the first place, ever seen at least one college football game in your whole lifetime?
Oh, come on. Give me a break!
(incidentally, the blue on offense is my alma’s ;)

以下は週末、公式twitter @yuichihiranaka へのポストよりのまとめ、ですが:

…悪事を働いた人が法律にもとづき裁かれるのは当然だし、原因の究明も必要でしょう。問題の責任者がそのまま権力や影響力を維持したり、私腹を肥やして良しとされるなら、社会のモラル(モラルとは、フランス語ではまぁ、やる気・士気、という意味ですが…)が下がる、社会正義、教育的観点からも問題がある。

しかしねぇ。。。
罪を憎んで、人を憎まず、ともいうでしょう。
目的は、責任を取らせて、将来的にも問題を解決する、ということで、問題を起こした人たちの(仮にそれが本当に悪い人たちであったとしても、真の目的は;)面目を潰して恥をかかせることではないでしょう。

理性や議論、ロジックではなく、情緒や感情をもとに、数の力で押し潰せるものを押し潰す。それは、リンチです。
社会正義は実現すべきだが、その方法が、リンチ以外にはないのでしょうか?

…全ては情緒と共感でしかなく、いい勝った者が勝ち、理非ではなく、数、力で勝った者が勝ち、というところにこそ問題はあるのではないでしょうか。
例えば、人を脅して黙らせる、などというのは許しがたい卑劣な行為ですが、その人を逆に脅し返して黙らせることができたら、それでいいのか。

仮に*正しいcause*であったから今回はこれでよかったといえるとしても、同じ仕組み、つまり一種のリンチで、人種攻撃やいじめ、異分子の迫害も起きる。
もっといえば、反戦・平和主義も黙らされ、戦争になだれ込むのも、これとまったく同じ仕組みではないでしょうか。
そもそも今回の問題自体が、力で人を黙らせコントロールしたところに端を発しているはずです。

そんな仕組みそのものに違和感がなく、むしろ当然のこととして、逆に制裁にも用いられているのだとすれば…フェニックス問題それ自体より、もっと恐い、と思います。
Go Blue! Go! via Instagram Post by amft_yn - Deskgram
(写真はイメージです;)

* * * *

フランス人は議論好き、というのはよく知られていると思います。
実際本当にことばの国、フランスでは、ことばで自分を表さなければ、存在しないも同然、という場合もふつうにあります。
しかしそんなにことばをぶつけ合って、どうして社会が成り立つのか。
何事も相手の気持ちを推し量り、角が立たないよう話すことを子どもの頃から求められる日本人、
そして議論をしようとすると、すぐに感情的な口論になってしまう日本人として(笑)
パリに移り住んだ当時、僕が最も関心のあった、知りたいと思っていたひとつがここ、でした。

そこで注意してみていると、
…ああ、もちろん、庶民はダメですよ、力強くまくし立ててるだけで、内容は8歳児並み、 手近にある、投げられそうなものならなんでも掴んで投げてくる、
とにかくシュートってやつを決めればいいんだろ!と打ちまくり、半分近くが議論上のオウン・ゴールになっている…という例も、冷静に見てるとままあります(笑)
フランス人のインテリは、議論をする時、最終的には、相手をいい負かさない、
相手の面子を完全には潰さない、
勝負あり、白黒ついた、と判断したら、そこで投了、
相手の逃げ場を僅かに残し、面目を守ってやる。
…これ、たしかHanakoにも書きましたよね??
いわば武士の情け、ですね(笑)
この暗黙のルールが守られることが多い。
考えてみれば、当然ですよね。じゃなかったら、もう殺し合い、です(笑)

ひるがえって、現在の日本はどうか。
今回の例で見てみると、
フェニックスの指導者は、全て自分の責任です、と認めているわけです。
基本的には、その時点で投了、です。
あとはもう、ふつうに考えれば判る、反則をするよう仕向けたのは、指導者です。
役職を解き、権力を剥奪、経済的にもペナルティを与え、社会的尊敬も失う。
こういう、実質的な制裁を受けてもらう。それでいいんです。
ほんとは指示をしたんですか、どうなんですか、などと問い詰め、いわば自供を取る必要は何もない、だって、常識で判る範囲のことですから(笑)

ケガをさせられた選手と、させた側の謝罪や賠償の問題は、双方で解決すればいいわけですし、
必要なら警察が介入してもいいし、司法の判断を仰いでもいいでしょう。

選手全員に罪はないとしても、フェニックスはひとまず廃部。
辛いでしょうが、当面他校に合流するか、クラブ・チームで頑張り、卒業後、社会人でライス・ボールに帰ってきてください。

相手の選手を試合に出られなくさせたら得だと思っていたら、そのせいで自分たちが出られなくなってしまった…
これではじめて割の合う、実質的な制裁、です。

こういった実質的な制裁があれば、そこにさらに精神的な制裁まで加える必要はありません。
全て自分の責任、と認めた時点で、本来なら、参りました、といっているも同然です。
それをさらに押さえつけ、どういったのか、いわなかったのか、などと追い詰めていけば、
それは腹を切れ、といっているようなもの。
そうなれば、嘘だってつくでしょう。
自分が悪かったといっているのに、その上嘘までつかされたら、そうでなくとも歪んでいたかもしれない(笑)心もますます歪みます。
恨み骨髄、ともなるでしょう。
そこまで人の面目を潰し、恥をかかせる必要は、ほんとは何もないのです。
…これが、フランスのインテリの議論を見ていて、
僕が考えたことです。

表題の、なぜ日本人は議論ができないか、
その理由はもちろんこんなことに尽きるものではなく、
そこには言語学的な、日本語の性質、というものが大きくあるということも、小説文の分析のためにナレーション理論を勉強していくなかで判ってきましたし、その辺りは、文法的にもかなり説明がつくのではないか、と思っています。
…だから、表題は、むしろ、なぜ*日本語では*議論ができないか、のほうがよりいいかもしれません;)

しかし、この、*相手の面目を潰さず、プライドを保ったまま、潔く退場するチャンスを与える*、ということも、議論が必ず感情的な口論に終わってしまう、という事態を避けるための小さなルール、作法のひとつ、だと思います。

罪を憎んで、人を憎まず、
とtwitterポストには書きましたが、
国民に嘘をつき、それをカヴァーアップしようとした政治家についても、僕は同じように思います。
問題は、はい、私は嘘をついておりました、と自白させることではない。
だって嘘をついてることは、誰から見ても歴然、です(笑)

首根っこをつかまえて、すみませんでした、私が悪うございました、と無理やりいわせることに、どんな意味があるでしょう。
小学生の反省会じゃないんだから!!

ただ、責任をとって、退職したいただく。
退職金も返納していただき、自分たちが是認していた、国民年金の支給額で実地に生活していただく(笑)

側から見て、やっぱりあの人は間違っていた、まぁ、あの人もね、つまらんことをしたもんだよね…とふつうに理解されるようであれば、
もうそれで、ひとまずはいいでしょう。

しかしそこまでは、確実に持っていきたいところ(笑)
要は、引き際を心得、とどめは刺さない。
リンチはしないし、血祭りにはあげない(笑)
それでこそ、
その人が多少なりともまともな人であるならば、時間をかけて、
ゆっくり反省や悔悛もできる;)
つまり、本質は、対等なひとりの人として人を遇する、というプリンシプル、原理原則を、誇りを持って守り抜く、
同じ人間同士として、互いに相手の尊厳を、最低限、尊重する、ということでしょう。

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2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
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『ベルリン日和』
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自傷行為としての消費

Consumption as Self-harm 現代における消費は、自傷行為なのではないか? Spending money gradually seems like one of the...

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ラジオのモディアノ

« On ne peut pas ne pas être un homme du présent quand on est romancier. » #PatrickModiano...

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教えて、DSK♥…



教えて、DSK♥ ️〜*保守二大政党制*って、アリなの??

フランスではDSKの通称で知られる、ドミニク・ストラス-カーン。
経済に明るい人は、IMFの前ディレクターとしてご存知かもしれません。
国際三面記事に強い人は(笑)例のNYのソフィテルで、ハウスキーピングの女性を襲った咎で、逮捕、失脚、というニュースをご記憶でしょう。
仏PS(社会党)の候補として、次期大統領と期待される人物を公衆の面前で犯罪者扱い、
ということで、フランスでは国辱、アメリカの罠、との声もありましたが、
確かにそもそも女性に関しては、続々と問題が出てきて、
それもちょっとパトロジカルな印象もあり、政界を去った−−
−−その後釜にフランス人で女性、ということでイイ感じにFMI(とむしろフランス語ではいいますが;)のディレクトリスに収まったのが、いかにもお金持ちのマダム然とした(痩せて日焼けしている;)ご存知クリスティヌ・ラギャルド。シラク、サルコジの保守党政権で、大臣を歴任していた人物です。

…他方、そこで「行ける」と踏んで一気に大統領になってしまったのが、フランソワ・オランド。これは「個人の感想」ですが、、
オランドはそもそも大統領の器ではないと承知の上で、行けたから行った、という観がある…
CV(履歴書)に*元フランス大統領*があるのも悪くない、といいますか(笑)
権力の座自体にはこだわらず、第五共和制の現職大統領として初めて二期目を目指さず、あっさり辞退、
結果的に、ここまでの政治責任を問われることもなく、
今年の大統領選でのPSの解党的大敗北の責任を問われることもなく、
あるいは社会党最後の大統領として、まんまと勝ち逃げ。
選挙後数ヶ月で、飄々と現政権に苦言を述べている。。
いや、この人は、なかなかのマキャベリストではないか、と思うわけです(笑)
(ムッシュ・オランドについては、こちらのポストも、ぜひどうぞ;)

その前大統領オランド、そして現大統領マクロンを前に、問題のDSKがスピーチをした、というのが、冒頭にクリップしたこのニュース。

マクロンは政策も、フィロソフィーも、とにかくDSKに学んだところが多いとされており、いわばコピー元的なところもあるわけで(笑)

…ついでにマクロンについても「個人の感想」で切ってしまうと、
オランドが機を見るに敏、で大統領になったとするならマクロンは、もう想定外の大ラッキー、世界一のラッキーで仏大統領になってしまった、という感じ。。(笑)
とにかく国内未曾有の大量殺人テロの傷を抱えたまま、英EU離脱、米トランプ政権誕生と、世界のナショナリズムの高まりを目の前にし、
フランス人の建前力、と僕は呼んだこともありますがこちらをどうぞ;)
本音、心の底では高まりに高まっても不思議のないナショナリズムを、
なんと、フランスのいわば超自我が押さえてしまった…(笑)
有名な仏極右政党FNは、政権の取れる政党になるどころか、
今は完全に失速、こちらもガタガタ、という様相を呈していますよ;)
…とはいえ、だからフランスはリベラルで素晴らしい、ということにはならないのが実はポイントで、
フランスは建前で本音を押し殺しすぎる面もあり、だからこそ共和制でそれなりにここまで上手くやって来ることができた、というところもあるけれど、その反面、たとえばフランスの戦後処理問題なんかも、つまるところ根はここにあるわけでしょう。。

かくて誕生したマクロン政権。
大雑把にいって、中道左派寄りのポピュリズム政権、と見ていいでしょう。

このマクロンを前に、いわば“本家筋”のDSKが苦言を呈し、戒めた。
クリップしたものとは違いますが、
別のニュースでアンカーが、
「これはDSKがマクロンに、左派の価値観の教えを説いたもの、ということでしょうか?」と訊いたところ、
すかさずコメンティターが、
「まぁ、でも左派の価値観を説くならば、ホテルでハウスキーピングの女性を襲うのだって、左派の価値観からは外れてるでしょう!」とすかさずいっていましたが(笑)
ともかく、問題の、DSKの*教え*なるものを聞いてみましょう。
曰く:
“右派と左派の価値観は同じではない。このふたつがあって社会のバランスが取れる。が、このふたつの対立は、民主主義があるかぎり生き続ける。ふたつの価値観を組み合わせることは、ふたつを混同(同一視)することではない。右と左を共に進めて行くことが、このふたつのバランスをとる方法だ。”
…まぁ、大体、そういうようなことを(笑)いっていますね。
クリップしたヴィデオでは、レポーターの女性がすぐに「右左の違いは残っているし、残らなくてはならない、マクロン大統領の考えとは違って、ということですね」と(まぁ、だいたい・笑)まとめていますね。。

 * * * *

日本では、*保守二大政党*という「マジですか?」なキャッチ・フレーズが出てきているようです(笑)
*保守二大政党による安定的な政治で、政権交代、選択肢のある政治*、みたいな話にしたいんでしょうけども、
ちょっと考えたら、猫でも判る、それ、選択肢、ありませんから(笑)

そもそも二大政党制の政権交代・選択肢のある政治を可能にする、という触れ込みで、小選挙区制が導入された、ということを(英語的にいうなら)覚えているくらいには僕は十分年を取っているわけですが;)
あそこでは、ちょっと見通せなかったですね。。
結局、グランドデザインは、*いかにリベラルを潰すか*、これだったわけです。

つまり、*保守二大政党制*には選択肢がない、という話になりますが、
保守二大政党には、思想的な違いがない。要するに、目的を達するための手順に対する考え方が違う、というだけです。

日本では社会主義、というのはうまくいかなかったシステム、ということになっていますが、
。。そしてフランスでも、あの絶対だれがやってもダメな段階で、政権を取ってしまった、その後のテロがさらにだめ押しで、PSはもう、ガタガタ、ですけど(笑)
…そのかわり、といってはなんですが、極左ポピュリズムも台頭してきていますね;)
フランスの社会主義、っていうのは、日本でふつうに思うような、腐敗したビューロクラシーの全体主義、みたいなものではなく、
フランスの共和国の精神、“自由・平等・友愛”のうち、
“平等”を追及するもので、
その大義は、“社会正義の実現”、です。
例えば経済政策だって、アメリカの共和党もそうですが、
保守は基本的にフリーマーケット、小さな政府で、資本主義をいわば野放しにしようとする。
すると資本主義がふつうに機能して、資本の集中が起こる。
つまり、金持ちがより金持ちになり、貧富の差はどんどん広がって行く。それが資本主義のまず基本です。
そしてその集中した富がどんどん大きくなれば、トリクルダウンで、ぽたぽたと落ちてきて、末端の生活も最後には楽になっていく(はず)。
これが米共和党の歴史的、伝統的な経済政策の立場、だといわれています(すみません、CNNによれば、です;)
今度の日本の新党の*寛容な保守*というのの*寛容*というのも、要するに、たとえばそういうことです;)

保守二大政党だと、つまり、こういう時に、
いや、一部の人に富を集中させる資本主義に政府が介入し、
もっと市民に公平に還元すべきだ、
…というと、要するに、アメリカでいえば、リベラルの民主党、
フランスでいえば、社会正義を実現する、社会主義、社会党の立場ですが…

この、本当の選択がない、
いや、基本的に富は集中させてトリクルダウンだけど、
そのやり方をどうすべきかなんだよ…というところの選択肢しかなくなる、という。。(笑)
例えば、在日米軍に撤退してもらう…は勿論のこと(笑)
少なくとも現在の在日米軍のあり方はおかしい、
一度撤退させた後再駐留を許可したフィリピンだって、日本と同じ旧枢軸国のイタリアだって、現在のイラクでさえ、もっとマシな地位協定を持っているそうなので、
じゃあこれをどうするのか。。というような選択肢は、ない。
日本の更なる軍事大国化に反対したい、
そして、ひいては、日本の核配備に反対したい…というような、
*本当の*選択肢は、保守二大政党では与えられない。
フランスがやったような、政策による少子化現象の逆転、というような選択肢も出てこない。
…フランスの例を見れば、猫でも判りますが(笑)少子高齢化というのはNHKがいってるような、あたかも自然な社会現象などではなく、政策の問題、政策から生まれ、政策でふつうに解決できる問題です;)

今度の選挙で、自民、公明、希望、維新、と保守政党がずらりと並ぶことで、
日本のリベラル(つまり、反戦、反軍事、社会正義の実現、などを是とする)潰しは、ほぼ完成してしまうでしょうね。。
自民対都民ファーストの都知事選の際、はっきり書きましたがこちら;)
あれを「紅勝て白勝ての紅白戦」、というのと要は同じで、
この4党の違いは、要は手順の違いのみ、です。
まったく違う主張に対しては、
例えば米軍基地を日本からなくす、とか、
軍事力拡大反対、とかいう政党が出てきたら、
この4党はいつでもひとつになれる。ひとつになって、潰しにかかることができる。
だって、本質的な違いはないわけですから!
そんなの、いわば派閥闘争、単なる内輪の権力闘争に過ぎません。(自民対都民ファーストがそうだったように;)
そうすると、現状、残るは共産、立憲民主党、社民党、以上、ですか。
日本の議会には、大きくいって、本質的にはひとつの大政党と、実際にはなんの力もない小政党以外ない、
つまり、実質ひとつの政党しかない、ということになる。
そして、ひとつの政党しかない、というのは勿論ファシズムの基本、です;)

ここまで来れば、今回の選挙、リベラルにできることは、限られています。
ひとつは、まず、どんなに小さくても、リベラルの火を消さないこと。
そして臆さず自分の考えを表明し続けること。

日本には揺らぎないリベラル、つまりたとえば、反戦、反軍拡、社会正義の実現、等々をぶれなく支持していく、という人は、
現状1−3割程度しかいないですよ。
リベラルが力を持つには、浮動層、このネット社会では、ポピュリズムに頼るしかないでしょう。
そして今は、その時期ではない。

何度も書きますが、民主制が独裁制に勝るのは、唯一、
失敗しても、やり直せる、ということ。それだけです。
失敗は、民主主義には付きもの、民主主義は、まどろっこしいものです。でも、やり直せる(笑)
国民主権が完全に骨抜きにされ、この軌道修正、リカヴァリ力が働かないようにされる恐れはあって、さすがにここは、気をつけてかなくちゃいけない。しかし、
そもそも、フェイクな保守*二大政党制*ではなく、ほんとの二大政党制も、そのため有効なのですが、
変化していく時代に対して、変化を封殺する安定性、固定性を作ることは、 それ自体が脆弱性、リスクである、ということも、ちょっと考えれば。。
。。まぁ、これは、確かに猫にはちょっと判らないかもしれませんが、人間には、判る(笑)

僕は根が楽観的だから(笑)
逆説的に、いろいろ悲観的に、こうしてロジックに詰めていくわけですが(笑)
まぁ、日本のリベラルにも、実は勝機はあるんだと思いますよ。
ひとつは、フランスの政治を見てて、思うけど、
日本の政治は、左右ともに、相対的にですが、はるかに稚拙だと思う。(フランスの政治に稚拙なところがない、というわけではないですよ!)
その稚拙さは、現在圧勢の保守にも致命的な失敗をもたらすだろうし、
所謂北朝鮮危機、
これ、確かに日本の核武装、という最悪の結果にもつながりうるものに見えますが、
(核武装が日本にとって最悪の選択なのは、説明の必要もないでしょう、つまり核武装をしたらその時から、今はアメリカを向いてる北朝鮮の核、ミサイルが一気に日本に向けられる、ということなのですから!!)

アメリカのメディアをふつうに見ていると、これ、ほんとは逆に、米軍の朝鮮半島、ひいては日本列島からの撤退にさえつなげていくことの十分にできる、
絶好のレヴァレッジにもなりうる、と思うのですが。。

既に十分長くなりましたので、そのお話は、また、機会がありましたら。。;)

yuichihiranaka:
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…あの夏、ベルリン。。
2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
ようこそ、旅行記と文学論の、ナラティヴな“街の迷路”へ。

『ベルリン日和』
“A moment.” …それは《気づき》の時。
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SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/166251858158