…このNY Dailyの1面の風刺漫画、いつか歴史の教科書に載ったりして。。;) 第1章 21世紀初頭の国際社会〜 第3節…



…このNY Dailyの1面の風刺漫画、いつか歴史の教科書に載ったりして。。;)

第1章 21世紀初頭の国際社会〜
第3節 「アメリカ帝国主義(パクス・アメリカーナ)の終焉」

…(笑) 第1節は 9/11〜「対テロ戦争」とアラブの春
ということで、西側社会とインターネットの希望を描き、
第2節はシリア内戦、ISの台頭と難民爆発、新ロシア南下政策から2016年のパリ・テロまでの西側民主主義文明の衰退を描くと、どうでしょうか;)

今回アメリカのジャーナリストが(さすがにFoxNewsも含めて)
怒っているのは、トランプがサミット後の記者会見でいつものお決まりの論法を使った、
つまり、批判を受けた時に、でもあっちにも悪い奴はいるじゃないか、あっちのほうが悪いじゃないか、と人の話にすり替える、という中学生的なものですが;)
それを今回、
ロシアが悪い悪いっていうけど、アメリカだって悪かったじゃないか、とやってしまった、
つまり、外国を侵略し、報道を規制し、選挙を操作し、外国で人を暗殺する、そんな国とモラルの点で同等に扱った
それがアメリカ人の逆鱗に触れた、ということだと思います。

いうまでもなく、トランプに与するつもりはまったく僕はありませんし(笑)
フランス人の友人にも、時々お前はアメリカ人だからなぁ…と嫌味をいわれたりするくらいで、アメリカや英語には、おそらくかなり親しいほうだと思うのですが、
今回の件はしかしふと、いや、それはそれでもいいかもしれない、、などと思ったりもします。
その心は(笑)
アメリカって、いつでも自分が正しい、っていう
まぁ、はっきりいって子どもじみたところがあって、
そこがアメリカらしいんだけど、アメリカ人と付き合っていても、ちょっと疲れちゃうところでもあった、
だいたい、いつも自分だけは絶対間違っていない、なんて、
僕が子どもの頃の日本共産党みたいなもんで、
やっぱりどこかちょっとおかしい(笑)

これからアメリカと、アメリカ中心で進んできた西側世界がどうなるかは大問題ですが、
長年の1アメリカ贔屓としては(笑)
もしかしてアメリカは、こうして図らずも、肩の重荷を降ろして、ちょっと楽になったりするのかね。。
などと思ったりもするのです…;)

(Image via Après le discours de Trump aux côtés de Poutine à Helsinki, les démocrates et plusieurs républicains scandalisés - huffingtonpost.fr)

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…あの夏、ベルリン。。
2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
ようこそ、旅行記と文学論の、ナラティヴな“街の迷路”へ。

『ベルリン日和』
“A moment.” …それは《気づき》の時。

作品についてのコメントはこちら

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/176019152614

Go Blue! Go! または、どうして日本人は議論ができないのか? Did you hear that one of…



Go Blue! Go! または、どうして日本人は議論ができないのか?

Did you hear that one of the hottest topics in Japan this spring is college football? Yes. College football (in all caps, if needed).
Ok. Let me get that straight.
Have you guys, in the first place, ever seen at least one college football game in your whole lifetime?
Oh, come on. Give me a break!
(incidentally, the blue on offense is my alma’s ;)

以下は週末、公式twitter @yuichihiranaka へのポストよりのまとめ、ですが:

…悪事を働いた人が法律にもとづき裁かれるのは当然だし、原因の究明も必要でしょう。問題の責任者がそのまま権力や影響力を維持したり、私腹を肥やして良しとされるなら、社会のモラル(モラルとは、フランス語ではまぁ、やる気・士気、という意味ですが…)が下がる、社会正義、教育的観点からも問題がある。

しかしねぇ。。。
罪を憎んで、人を憎まず、ともいうでしょう。
目的は、責任を取らせて、将来的にも問題を解決する、ということで、問題を起こした人たちの(仮にそれが本当に悪い人たちであったとしても、真の目的は;)面目を潰して恥をかかせることではないでしょう。

理性や議論、ロジックではなく、情緒や感情をもとに、数の力で押し潰せるものを押し潰す。それは、リンチです。
社会正義は実現すべきだが、その方法が、リンチ以外にはないのでしょうか?

…全ては情緒と共感でしかなく、いい勝った者が勝ち、理非ではなく、数、力で勝った者が勝ち、というところにこそ問題はあるのではないでしょうか。
例えば、人を脅して黙らせる、などというのは許しがたい卑劣な行為ですが、その人を逆に脅し返して黙らせることができたら、それでいいのか。

仮に*正しいcause*であったから今回はこれでよかったといえるとしても、同じ仕組み、つまり一種のリンチで、人種攻撃やいじめ、異分子の迫害も起きる。
もっといえば、反戦・平和主義も黙らされ、戦争になだれ込むのも、これとまったく同じ仕組みではないでしょうか。
そもそも今回の問題自体が、力で人を黙らせコントロールしたところに端を発しているはずです。

そんな仕組みそのものに違和感がなく、むしろ当然のこととして、逆に制裁にも用いられているのだとすれば…フェニックス問題それ自体より、もっと恐い、と思います。
Go Blue! Go! via Instagram Post by amft_yn - Deskgram
(写真はイメージです;)

* * * *

フランス人は議論好き、というのはよく知られていると思います。
実際本当にことばの国、フランスでは、ことばで自分を表さなければ、存在しないも同然、という場合もふつうにあります。
しかしそんなにことばをぶつけ合って、どうして社会が成り立つのか。
何事も相手の気持ちを推し量り、角が立たないよう話すことを子どもの頃から求められる日本人、
そして議論をしようとすると、すぐに感情的な口論になってしまう日本人として(笑)
パリに移り住んだ当時、僕が最も関心のあった、知りたいと思っていたひとつがここ、でした。

そこで注意してみていると、
…ああ、もちろん、庶民はダメですよ、力強くまくし立ててるだけで、内容は8歳児並み、 手近にある、投げられそうなものならなんでも掴んで投げてくる、
とにかくシュートってやつを決めればいいんだろ!と打ちまくり、半分近くが議論上のオウン・ゴールになっている…という例も、冷静に見てるとままあります(笑)
フランス人のインテリは、議論をする時、最終的には、相手をいい負かさない、
相手の面子を完全には潰さない、
勝負あり、白黒ついた、と判断したら、そこで投了、
相手の逃げ場を僅かに残し、面目を守ってやる。
…これ、たしかHanakoにも書きましたよね??
いわば武士の情け、ですね(笑)
この暗黙のルールが守られることが多い。
考えてみれば、当然ですよね。じゃなかったら、もう殺し合い、です(笑)

ひるがえって、現在の日本はどうか。
今回の例で見てみると、
フェニックスの指導者は、全て自分の責任です、と認めているわけです。
基本的には、その時点で投了、です。
あとはもう、ふつうに考えれば判る、反則をするよう仕向けたのは、指導者です。
役職を解き、権力を剥奪、経済的にもペナルティを与え、社会的尊敬も失う。
こういう、実質的な制裁を受けてもらう。それでいいんです。
ほんとは指示をしたんですか、どうなんですか、などと問い詰め、いわば自供を取る必要は何もない、だって、常識で判る範囲のことですから(笑)

ケガをさせられた選手と、させた側の謝罪や賠償の問題は、双方で解決すればいいわけですし、
必要なら警察が介入してもいいし、司法の判断を仰いでもいいでしょう。

選手全員に罪はないとしても、フェニックスはひとまず廃部。
辛いでしょうが、当面他校に合流するか、クラブ・チームで頑張り、卒業後、社会人でライス・ボールに帰ってきてください。

相手の選手を試合に出られなくさせたら得だと思っていたら、そのせいで自分たちが出られなくなってしまった…
これではじめて割の合う、実質的な制裁、です。

こういった実質的な制裁があれば、そこにさらに精神的な制裁まで加える必要はありません。
全て自分の責任、と認めた時点で、本来なら、参りました、といっているも同然です。
それをさらに押さえつけ、どういったのか、いわなかったのか、などと追い詰めていけば、
それは腹を切れ、といっているようなもの。
そうなれば、嘘だってつくでしょう。
自分が悪かったといっているのに、その上嘘までつかされたら、そうでなくとも歪んでいたかもしれない(笑)心もますます歪みます。
恨み骨髄、ともなるでしょう。
そこまで人の面目を潰し、恥をかかせる必要は、ほんとは何もないのです。
…これが、フランスのインテリの議論を見ていて、
僕が考えたことです。

表題の、なぜ日本人は議論ができないか、
その理由はもちろんこんなことに尽きるものではなく、
そこには言語学的な、日本語の性質、というものが大きくあるということも、小説文の分析のためにナレーション理論を勉強していくなかで判ってきましたし、その辺りは、文法的にもかなり説明がつくのではないか、と思っています。
…だから、表題は、むしろ、なぜ*日本語では*議論ができないか、のほうがよりいいかもしれません;)

しかし、この、*相手の面目を潰さず、プライドを保ったまま、潔く退場するチャンスを与える*、ということも、議論が必ず感情的な口論に終わってしまう、という事態を避けるための小さなルール、作法のひとつ、だと思います。

罪を憎んで、人を憎まず、
とtwitterポストには書きましたが、
国民に嘘をつき、それをカヴァーアップしようとした政治家についても、僕は同じように思います。
問題は、はい、私は嘘をついておりました、と自白させることではない。
だって嘘をついてることは、誰から見ても歴然、です(笑)

首根っこをつかまえて、すみませんでした、私が悪うございました、と無理やりいわせることに、どんな意味があるでしょう。
小学生の反省会じゃないんだから!!

ただ、責任をとって、退職したいただく。
退職金も返納していただき、自分たちが是認していた、国民年金の支給額で実地に生活していただく(笑)

側から見て、やっぱりあの人は間違っていた、まぁ、あの人もね、つまらんことをしたもんだよね…とふつうに理解されるようであれば、
もうそれで、ひとまずはいいでしょう。

しかしそこまでは、確実に持っていきたいところ(笑)
要は、引き際を心得、とどめは刺さない。
リンチはしないし、血祭りにはあげない(笑)
それでこそ、
その人が多少なりともまともな人であるならば、時間をかけて、
ゆっくり反省や悔悛もできる;)
つまり、本質は、対等なひとりの人として人を遇する、というプリンシプル、原理原則を、誇りを持って守り抜く、
同じ人間同士として、互いに相手の尊厳を、最低限、尊重する、ということでしょう。

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…あの夏、ベルリン。。
2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
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『ベルリン日和』
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自傷行為としての消費

Consumption as Self-harm 現代における消費は、自傷行為なのではないか? Spending money gradually seems like one of the...

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ラジオのモディアノ

« On ne peut pas ne pas être un homme du présent quand on est romancier. » #PatrickModiano...

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教えて、DSK♥…



教えて、DSK♥ ️〜*保守二大政党制*って、アリなの??

フランスではDSKの通称で知られる、ドミニク・ストラス-カーン。
経済に明るい人は、IMFの前ディレクターとしてご存知かもしれません。
国際三面記事に強い人は(笑)例のNYのソフィテルで、ハウスキーピングの女性を襲った咎で、逮捕、失脚、というニュースをご記憶でしょう。
仏PS(社会党)の候補として、次期大統領と期待される人物を公衆の面前で犯罪者扱い、
ということで、フランスでは国辱、アメリカの罠、との声もありましたが、
確かにそもそも女性に関しては、続々と問題が出てきて、
それもちょっとパトロジカルな印象もあり、政界を去った−−
−−その後釜にフランス人で女性、ということでイイ感じにFMI(とむしろフランス語ではいいますが;)のディレクトリスに収まったのが、いかにもお金持ちのマダム然とした(痩せて日焼けしている;)ご存知クリスティヌ・ラギャルド。シラク、サルコジの保守党政権で、大臣を歴任していた人物です。

…他方、そこで「行ける」と踏んで一気に大統領になってしまったのが、フランソワ・オランド。これは「個人の感想」ですが、、
オランドはそもそも大統領の器ではないと承知の上で、行けたから行った、という観がある…
CV(履歴書)に*元フランス大統領*があるのも悪くない、といいますか(笑)
権力の座自体にはこだわらず、第五共和制の現職大統領として初めて二期目を目指さず、あっさり辞退、
結果的に、ここまでの政治責任を問われることもなく、
今年の大統領選でのPSの解党的大敗北の責任を問われることもなく、
あるいは社会党最後の大統領として、まんまと勝ち逃げ。
選挙後数ヶ月で、飄々と現政権に苦言を述べている。。
いや、この人は、なかなかのマキャベリストではないか、と思うわけです(笑)
(ムッシュ・オランドについては、こちらのポストも、ぜひどうぞ;)

その前大統領オランド、そして現大統領マクロンを前に、問題のDSKがスピーチをした、というのが、冒頭にクリップしたこのニュース。

マクロンは政策も、フィロソフィーも、とにかくDSKに学んだところが多いとされており、いわばコピー元的なところもあるわけで(笑)

…ついでにマクロンについても「個人の感想」で切ってしまうと、
オランドが機を見るに敏、で大統領になったとするならマクロンは、もう想定外の大ラッキー、世界一のラッキーで仏大統領になってしまった、という感じ。。(笑)
とにかく国内未曾有の大量殺人テロの傷を抱えたまま、英EU離脱、米トランプ政権誕生と、世界のナショナリズムの高まりを目の前にし、
フランス人の建前力、と僕は呼んだこともありますがこちらをどうぞ;)
本音、心の底では高まりに高まっても不思議のないナショナリズムを、
なんと、フランスのいわば超自我が押さえてしまった…(笑)
有名な仏極右政党FNは、政権の取れる政党になるどころか、
今は完全に失速、こちらもガタガタ、という様相を呈していますよ;)
…とはいえ、だからフランスはリベラルで素晴らしい、ということにはならないのが実はポイントで、
フランスは建前で本音を押し殺しすぎる面もあり、だからこそ共和制でそれなりにここまで上手くやって来ることができた、というところもあるけれど、その反面、たとえばフランスの戦後処理問題なんかも、つまるところ根はここにあるわけでしょう。。

かくて誕生したマクロン政権。
大雑把にいって、中道左派寄りのポピュリズム政権、と見ていいでしょう。

このマクロンを前に、いわば“本家筋”のDSKが苦言を呈し、戒めた。
クリップしたものとは違いますが、
別のニュースでアンカーが、
「これはDSKがマクロンに、左派の価値観の教えを説いたもの、ということでしょうか?」と訊いたところ、
すかさずコメンティターが、
「まぁ、でも左派の価値観を説くならば、ホテルでハウスキーピングの女性を襲うのだって、左派の価値観からは外れてるでしょう!」とすかさずいっていましたが(笑)
ともかく、問題の、DSKの*教え*なるものを聞いてみましょう。
曰く:
“右派と左派の価値観は同じではない。このふたつがあって社会のバランスが取れる。が、このふたつの対立は、民主主義があるかぎり生き続ける。ふたつの価値観を組み合わせることは、ふたつを混同(同一視)することではない。右と左を共に進めて行くことが、このふたつのバランスをとる方法だ。”
…まぁ、大体、そういうようなことを(笑)いっていますね。
クリップしたヴィデオでは、レポーターの女性がすぐに「右左の違いは残っているし、残らなくてはならない、マクロン大統領の考えとは違って、ということですね」と(まぁ、だいたい・笑)まとめていますね。。

 * * * *

日本では、*保守二大政党*という「マジですか?」なキャッチ・フレーズが出てきているようです(笑)
*保守二大政党による安定的な政治で、政権交代、選択肢のある政治*、みたいな話にしたいんでしょうけども、
ちょっと考えたら、猫でも判る、それ、選択肢、ありませんから(笑)

そもそも二大政党制の政権交代・選択肢のある政治を可能にする、という触れ込みで、小選挙区制が導入された、ということを(英語的にいうなら)覚えているくらいには僕は十分年を取っているわけですが;)
あそこでは、ちょっと見通せなかったですね。。
結局、グランドデザインは、*いかにリベラルを潰すか*、これだったわけです。

つまり、*保守二大政党制*には選択肢がない、という話になりますが、
保守二大政党には、思想的な違いがない。要するに、目的を達するための手順に対する考え方が違う、というだけです。

日本では社会主義、というのはうまくいかなかったシステム、ということになっていますが、
。。そしてフランスでも、あの絶対だれがやってもダメな段階で、政権を取ってしまった、その後のテロがさらにだめ押しで、PSはもう、ガタガタ、ですけど(笑)
…そのかわり、といってはなんですが、極左ポピュリズムも台頭してきていますね;)
フランスの社会主義、っていうのは、日本でふつうに思うような、腐敗したビューロクラシーの全体主義、みたいなものではなく、
フランスの共和国の精神、“自由・平等・友愛”のうち、
“平等”を追及するもので、
その大義は、“社会正義の実現”、です。
例えば経済政策だって、アメリカの共和党もそうですが、
保守は基本的にフリーマーケット、小さな政府で、資本主義をいわば野放しにしようとする。
すると資本主義がふつうに機能して、資本の集中が起こる。
つまり、金持ちがより金持ちになり、貧富の差はどんどん広がって行く。それが資本主義のまず基本です。
そしてその集中した富がどんどん大きくなれば、トリクルダウンで、ぽたぽたと落ちてきて、末端の生活も最後には楽になっていく(はず)。
これが米共和党の歴史的、伝統的な経済政策の立場、だといわれています(すみません、CNNによれば、です;)
今度の日本の新党の*寛容な保守*というのの*寛容*というのも、要するに、たとえばそういうことです;)

保守二大政党だと、つまり、こういう時に、
いや、一部の人に富を集中させる資本主義に政府が介入し、
もっと市民に公平に還元すべきだ、
…というと、要するに、アメリカでいえば、リベラルの民主党、
フランスでいえば、社会正義を実現する、社会主義、社会党の立場ですが…

この、本当の選択がない、
いや、基本的に富は集中させてトリクルダウンだけど、
そのやり方をどうすべきかなんだよ…というところの選択肢しかなくなる、という。。(笑)
例えば、在日米軍に撤退してもらう…は勿論のこと(笑)
少なくとも現在の在日米軍のあり方はおかしい、
一度撤退させた後再駐留を許可したフィリピンだって、日本と同じ旧枢軸国のイタリアだって、現在のイラクでさえ、もっとマシな地位協定を持っているそうなので、
じゃあこれをどうするのか。。というような選択肢は、ない。
日本の更なる軍事大国化に反対したい、
そして、ひいては、日本の核配備に反対したい…というような、
*本当の*選択肢は、保守二大政党では与えられない。
フランスがやったような、政策による少子化現象の逆転、というような選択肢も出てこない。
…フランスの例を見れば、猫でも判りますが(笑)少子高齢化というのはNHKがいってるような、あたかも自然な社会現象などではなく、政策の問題、政策から生まれ、政策でふつうに解決できる問題です;)

今度の選挙で、自民、公明、希望、維新、と保守政党がずらりと並ぶことで、
日本のリベラル(つまり、反戦、反軍事、社会正義の実現、などを是とする)潰しは、ほぼ完成してしまうでしょうね。。
自民対都民ファーストの都知事選の際、はっきり書きましたがこちら;)
あれを「紅勝て白勝ての紅白戦」、というのと要は同じで、
この4党の違いは、要は手順の違いのみ、です。
まったく違う主張に対しては、
例えば米軍基地を日本からなくす、とか、
軍事力拡大反対、とかいう政党が出てきたら、
この4党はいつでもひとつになれる。ひとつになって、潰しにかかることができる。
だって、本質的な違いはないわけですから!
そんなの、いわば派閥闘争、単なる内輪の権力闘争に過ぎません。(自民対都民ファーストがそうだったように;)
そうすると、現状、残るは共産、立憲民主党、社民党、以上、ですか。
日本の議会には、大きくいって、本質的にはひとつの大政党と、実際にはなんの力もない小政党以外ない、
つまり、実質ひとつの政党しかない、ということになる。
そして、ひとつの政党しかない、というのは勿論ファシズムの基本、です;)

ここまで来れば、今回の選挙、リベラルにできることは、限られています。
ひとつは、まず、どんなに小さくても、リベラルの火を消さないこと。
そして臆さず自分の考えを表明し続けること。

日本には揺らぎないリベラル、つまりたとえば、反戦、反軍拡、社会正義の実現、等々をぶれなく支持していく、という人は、
現状1−3割程度しかいないですよ。
リベラルが力を持つには、浮動層、このネット社会では、ポピュリズムに頼るしかないでしょう。
そして今は、その時期ではない。

何度も書きますが、民主制が独裁制に勝るのは、唯一、
失敗しても、やり直せる、ということ。それだけです。
失敗は、民主主義には付きもの、民主主義は、まどろっこしいものです。でも、やり直せる(笑)
国民主権が完全に骨抜きにされ、この軌道修正、リカヴァリ力が働かないようにされる恐れはあって、さすがにここは、気をつけてかなくちゃいけない。しかし、
そもそも、フェイクな保守*二大政党制*ではなく、ほんとの二大政党制も、そのため有効なのですが、
変化していく時代に対して、変化を封殺する安定性、固定性を作ることは、 それ自体が脆弱性、リスクである、ということも、ちょっと考えれば。。
。。まぁ、これは、確かに猫にはちょっと判らないかもしれませんが、人間には、判る(笑)

僕は根が楽観的だから(笑)
逆説的に、いろいろ悲観的に、こうしてロジックに詰めていくわけですが(笑)
まぁ、日本のリベラルにも、実は勝機はあるんだと思いますよ。
ひとつは、フランスの政治を見てて、思うけど、
日本の政治は、左右ともに、相対的にですが、はるかに稚拙だと思う。(フランスの政治に稚拙なところがない、というわけではないですよ!)
その稚拙さは、現在圧勢の保守にも致命的な失敗をもたらすだろうし、
所謂北朝鮮危機、
これ、確かに日本の核武装、という最悪の結果にもつながりうるものに見えますが、
(核武装が日本にとって最悪の選択なのは、説明の必要もないでしょう、つまり核武装をしたらその時から、今はアメリカを向いてる北朝鮮の核、ミサイルが一気に日本に向けられる、ということなのですから!!)

アメリカのメディアをふつうに見ていると、これ、ほんとは逆に、米軍の朝鮮半島、ひいては日本列島からの撤退にさえつなげていくことの十分にできる、
絶好のレヴァレッジにもなりうる、と思うのですが。。

既に十分長くなりましたので、そのお話は、また、機会がありましたら。。;)

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World without Prince.…プリンス。それは、ひとつの《可能性》だった。 (Photo:…



World without Prince.

…プリンス。それは、ひとつの《可能性》だった。

(Photo: http://amsterdamnews.com/news/2016/apr/21/remembering-prince-music-superstar/ )

どうしようか、と思ったのですが、やはりこのポストは立てておくことにします。

ここ数年、80年代を代表した、アメリカ・ブラック・ミュージックの巨星が奇しくも相次いで世を去りました。

いうまでもなく、Whitney、Michael、そして今回のプリンス、です。

Michaelの場合は芸歴が長いですが、いずれも'80年代の期待の星だった人たちで、夭折というわけではないけれど、まだまだこれから後半生の活躍を当然のように期待されていた、
そういう意味で、若すぎる死だった、ということも共通し、同じくその意味で相通ずる衝撃を与えた、ということもいえます。

TwitterFacebookで僕をフォローして下さっている方は、 Whitneyの時の僕の動揺ぶり、というのをあるいはお気づきかもしれませんから、
またか。。とお思いかもしれません;)
いや、WhitneyやMichealの時とはまた違う、などといっても、
うんうん、それが悲しみの本質、ってもんだよ、
と納得されてしまうのでは、とも思います;)

しかしここにはやはり、ひとつ、質の違うなにかがある。
その辺りを書き残しておきたい、と思うのですが。。。

見ていると、意外なことに、プリンスの死に対する反応は、Whitney、Michaelの時以上に、さらに深く、強いようにも感じます。

いや、意外、というのは、あれだけの大スターで、あれだけの仕事を残した人ですからおかしく聞こえるかもしれませんが、
あるいはこれは、僕のだけの個人的な印象ではないかもしれません。

僕は、プリンスは、まず音楽がすごいと思うし、同時代の天才、といえばおそらくいちばんに、プリンスを挙げるくらいでした。
けれどこうなってみるまで僕自身気づかなかったのですが、じつはプリンスという存在は、MichaelやWhitneyのような、時代を代表するスター、というよりも、
同時代の、プリンスの音楽に触れた人、全てのあり方やものの考え方に、根っこから関わってくるような、そういうものだったように思います。

様々な思い出に結びついて懐かしく、いつも頭上に燦然と輝いていた存在、というより、もっとパーソナルに、つまり自分自身の内面や、世界認識に関わっていた、といってもいいかもしれません。

だからこそ、この逝去に対する静かな、しかし思いがけないほどの熱い反応が生まれてきたのだなぁ…と思うのですが。。
このあたりがなかなか日本、というか、日本語圏というかでは、うまく伝わっていないのではないでしょうか。

CNNのDon Lemonは、プリンスの最大のメッセージは、
It’s OK to be different
だった、と簡単にいっていました。

続けてみていると、ほかにもいろいろなアンカーやゲストたちが、ばらばらに、それぞれの番組で、
ハンサムだけど、一般的なハンサムじゃない、
セクシーだけど、所謂セクシーなタイプとは違う、
歌はもちろんうまいけど、JBみたいな意味で、いい声を持ってるわけじゃない、、、
などと、口々にいっていました。

アメリカのアフリカ系の男性で、ゲイじゃないのに化粧をする人はいない、とも;)

そもそもPurple Rainに先立つControversyアルバムで、

Am I black or white, am I straight or gay?

と、マイノリティ・グループにさえ同一化できない自分、
どこにも属することのできない自分、というものを歌っていたプリンスです。

↓↓のtweetにインクルードされたヴィデオでは、そのことを、Don Lemonがやや落ち着いて(それでもまだ興奮しながら;)話しています:

…このDon Lemonというアンカーに僕が気づいたのは、当時真面目にCNN intlを契約視聴していたところ、たまたまWhitneyの逝去が週末で、まだやや控え的に、週末を担当していたこの人が、そこからほぼ丸一日に近いフル・カヴァレッジを一人でやった、
そのいちばん最後に、I hope we’ve done. 的な簡単なひと言で、全体を締めくくったのですが、それが僕には、
自分たちにできるだけのことはやり切った、そう思いたい、
というようにも聞こえ、
非常に印象に残り、以来時々気をつけて見ている人です;)

天才、といった時、典型的に僕が連想するアーティストの一人が、ピカソです ー というと、これまたごくごくありきたりなチョイスですが;)
僕がほんとにそう思ったのは、'90年初頭代に、パリのピカソ美術館 Musée Picasso (Paris) へ行ったから:いまのピカソ美術館と比べると、圧倒的に展示スペースが少なく、圧倒的に展示作品数が多かった(笑)
質、量、アイディア、全てが桁外れに、とどまるところなくどんどん溢れ出す、
ほんの数メートルの間にクロノロジックに、圧倒的なヴァライエティが、
毎年毎年、ひとつのエピックと呼びたいくらいに独自な作品群として、
しかも圧倒的な量で、めまぐるしく生まれ、惜しげもなく変わり、どれも、みんな面白い。
もう、見るものを、出し惜しみのない、いや、そんな必要全くないし、不可能な、文字通り、天才の軌跡で打ちのめすような、当時のパリの美術館でした。

こんなこと、常人にはできるわけがない。
つまり天才、というのはある種の《例外》で、
プリンスの場合も、まず音楽からいって、R'n'B、ソウル、ファンク、ロック、ダンス、クラブ、といろいろいってみても、どれにもしっくりとは当てはまらない。
それ自体が既に、まさに天才の発現、ではあるのですが、
その結果、逆に、
R'n'Bって、ソウルって、ファンクって、と説明しようとすると、
すぐに「でもじゃあ、プリンスの場合は?」という反問が浮かんでくる。
それがさらに広がって、
ブラック・ミュージック、アメリカのポップ・ミュージック、
アメリカのアフリカ系のカルチャー、アメリカのポップ・カルチャー、
と考えて行っても、「でも、プリンスは?」という問いかけが、常に割り切れない部分として後に残ってくる…。
ということは、プリンスという一人の《例外》のために、そこまでの考え、常識を全部変更しなくてはならなくなる、ということで、
それはつまり、その分、
プリンスがいた分、確実に、世界が広くなった、
ということです:
待てよ、でもプリンス、っていう場合だってある。
そう考えられる、ということは、ひとつの大きな可能性、だったのです。

もっと日常的な、コンクリートな例でいえば、
こうだから歌が上手い、こうだからダンスが上手い、こうだから格好いい、こうだからセクシー。
そういう常套的な価値観をみんな、
だって、そしたらプリンスは?
この問いかけでチャラにしてしまう。
その意味で、人の精神、エスプリを、ひとつ、確実に自由にすることのできた、それがプリンスで、

It’s OK to be different.

というのは、つまりそういうことだと思うんですね;)

また、プリンスには、出し惜しみがない、という《天才》のキーワード↑↑もほんとうによく当てはまりました。

だいたいダブル・アルバム、というのは屢々ありますが、だったら例えば3枚組、というのはすごい、もちろんさらにすごい、
でもやり過ぎというか、一体何がやりたいのか、というか《???》。。というか(笑)
常人にはやや理解しかねるところがありませんか;)

プリンスという名前を使わせなくしてしまう、などといった時期もありましたが、あれだって、とても現在世界に氾濫している目先の金儲けのためのマーケティング、ということでは理解しきれないものでした。到底ポピュラー・ミュージックをやりたい人の発想ではない。
しかもプリンスというのは、本当の自分の名前、親のつけた本名らしいですね…。

さらにアルバムにタイトルを付けない:)

…Black album、と呼ばれておりましたが;)

名前同様、アルバムタイトルを、発音不可能なものにする:)

…通称アルバム名、Love symbol;)

問題のトリプル・アルバム、というのの誕生も含め、このあたり、背景にレコード会社との契約の問題があったとも、今回の逝去の大量のアメリカTV報道の中で改めて説明されていました。
しかしそれに先立つ10数年前に、既に4枚組(!)をものしていたことを忘れてはなりません(笑)

…さらにこちらも4枚組。

…出し惜しみない天才ぶり、などと形容したくなるのも、お判りいただけるのではないでしょうか。。

音楽も、文学についてもそうですが、僕は作品を聴いたり読んだりする、ということにまず興味があり、たいていの場合はそれで満足してしまいます。
アーティストの伝記的な事実、というのにはほとんど関心がなく、基本的にどうでもいい、と思っているのですが(笑)

…アーティストについて、こういう人生を送ったからこそこういう作品を作った、というのは完全に非科学的な(論証・反証不可能な)結果論に過ぎない、こじつけの場合がほぼ、全て、です;)

だからこそかえって、というか、いざ好きなアーティストのバイオグラフィーを読むとほんとに面白いなぁ、と思います(笑)
つまり、僕にとってエピテクストは、ほんとにいい意味で《おまけ》なわけです。
そういうわけで、今回も、プリンス逝去の報道の中で、初めていろいろなことを知りました。

プリンスが、自分の、ひいてはアーティスト全般の権利を守ることに、非常に意識の高かった人であることは有名だったし、
↑↑のアーティスト名を使わせない、アルバム名をつけない、読めないアルバム名をつける、というのもみんな、特に版元、レコード会社・レコード会社との契約との闘争の姿勢の現れであることは、容易に想像がつくでしょう。

名前のないアーティスト、アルバムを、どうやってレコード会社は販売すればいいのか。
作品をコントロールする力は作品の作者、アーティストにこそあるのだという強烈なマニフェスタシオン、示威行為はないでしょうか。

こういう有名な写真もあります:

(Source: http://theconversation.com/how-princes-quest-for-complete-artistic-control-changed-the-music-industry-forever-58267 )

SLAVE=奴隷、とステージで自分の顔に書き記すのも、レコード会社、音楽ビジネスに対する痛烈な批判です;)

デジタル・コンテンツの世界にパイオニア的に切り込んだ観のあるプリンスが、デジタル時代のアーティストのviability、
どうやってこの時代をアーティストとして生き抜いて行くか、ということを先鋭的に考えていたことも、改めてよく判りました。

これではアップルとgoogleとamazonしか金が稼げない仕組みになっている、
と僕が再々くり返しているのと、完璧にidentique、同じ批判をしていた、というのみならず、
(…こちらも参照。)
その一方で、若い人がappを自分でどんどん作れるよう、プロジェクトを財政面でサポートしていた、など。

今回僕がいちばん考えたことは、ひとつ、そこで、やっぱりデジタル・コンテンツにまじめに取り組まなくちゃなぁ、ということ。
お金にならないから、とめんどくさがらずに、やはり、どうやってデジタルと関わって行くべきなのか。
これは、ほんとに考えさせられました。

でその結果、何をしたか、というと、とりあえず、twitterとinstagramを非公開アカウントにした、というだけなんですけど(笑)
どうしてそうなるかは、少しずつかたちにして行ければいいなと思います;)

どんどん登録して下さい!Twitter ; instagram

…ということで、このポストの締めくくりとしては、やはりこの1曲を聴いていただきましょう。

とにもかくにも、プリンスはこの世を去りました。
Whitney、Michaelと来ても、またしても、まったく予想していませんでした。迂闊、というほかないでしょうが、
プリンスが存在する、ということは、僕にとって、
じつはそれほど当たり前だった、
世界というのは、常にプリンス込みで、プリンスを勘定に入れて、
(つまり、先に書いたように、ひとつの可能性として)
考えられるものだったのだなぁ、といまにしてしみじみ思います。
しかしプリンスによって、プリンスがいたことによって、
確実に広げられたこの世界は、
たとえプリンス自身はこの世を去っても、
永遠に、プリンスの分、広くなって、そのままなのです。

Prince Rogers Nelson (June 7, 1958 – April 21, 2016), R.I.P.


(Source: https://youtu.be/F8BMm6Jn6oU )

初めてのプリンス、なら ベスト盤 Prince - Hits & B-Sides

#RestInPurple


yuichihiranaka:
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SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/144042099130