どうしてWeekendのI Feel It Comingはふつうにクールなのに、フランス語版になると、みんなNon…



どうしてWeekendのI Feel It Comingはふつうにクールなのに、
フランス語版になると、みんなNon !といい出すのか?(Mika談)

The voiceフランス版でjuryのMikaから、タイトルのような質問があり、↑↑
面白かったのでメモしておきます;)

Mikaは、フランス語もナチュラルに話しますが、フランス人ではなく、ロンドン在住ということで、フランス語のちょっと不自由な人(知らない単語や表現が出てくる)という、
コスモポリットなフランスでは珍しいキャラでTF1、The Voiceでは活躍しております;)

そこで、まずはフランス語版の作者、Juliette Armanetのテイクを聴いてみてください:

Juliette Armanet - Je te sens venir (LIVE) Le Grand Studio RTL

↓↓のテイクの方が、さらにはっきりする、かもしれませんが。。

Juliette Armanet - I feel it coming (The Weeknd cover) sur RFM

如何でしょうか?
フランス語を齧ったことのあるひとなら、すでに、むむむー(笑)という感じではないでしょうか?;)

このセクシャルな歌詞を、司会の男性の目を見て歌いかける格好になってしまったことで、出だし、思わず弾き間違えたりするなどもしていますね;)

次に*ふつうにクール*な原曲、
The Weeknd ft. Daft Punk版を聴いてみてください:

The Weeknd - I Feel It Coming ft. Daft Punk

…如何でしょうか?(笑)

ジュリエット・アルマネはユーモアを含んで歌っており、
Weekendはひたすらかっこよく歌っている、
しかしアルマネ版にはある種の緊張感があり、
Weekend版にはデタント感、リラックス感がある、
というあたりは、たとえ歌詞が聞き取れなくても、なんとなく伝わるのではないのでしょうか?

さて、この違いがどこからくるか…なのですが。。
もちろんweekend版にも、
I can feel the heat between your legs、みたいな、あけすけなことばも聞こえてきます。
しかし、これはRnB、ブラコンの黄金時代の定番だった、
愛撫しながら、髪をほどいて、ボタンを外す…
的な、お口説きソングの形をそのまま踏襲している、
つまり、よくある、おなじみのパターン、なわけですね;)

一方、確かにArmanet版は、歌詞にもある通り、さらに直裁に、
セックス自体にがつん、と入っていきます;)
けれどそれ以上に、歌い手、発話の出所が女性である、
女性が積極的に、主体的に、セックスを求める歌である、
ということが、明らかに、ここにはある、
やはり、ここには、ふつうに、ジェンダー・イシューがある、という気はします。

…ノン・コミュニケイション理論の見地からいえば、タイトルおよびルフランの、原詞で客観的、物語的なitが、仏訳では、直示的、コミュニケーション的なte(あなた)に変えられている、ということも大きく、見過ごすことはできませんが。。

Weekend版にはないユーモアがある・必要とされるのも、 あるいはその辺りに由来するものかもしれませんが、

こういってはあれですけども(笑)今はなき、「パンプキン・パイとシナモン・ティー」「雨宿り」当時の(!)のさだまさしをちょっと思い起こさせるようなユーモア、かもしれません(笑)

しかし、それにしても、このルフランの前の

Sous la pluie, mon cœur coule tout contre ton corps
Et nos destins s'enroulent
Non, j'en veux encore

Sous la pluie, mon corps roule tout contre ton cœur
Oui, nos destins s'enroulent
Non, non, n'aie pas peur

この雨のイマージュ、表現、修辞は、
定番通り、オリジナルなものではないかもしれませんが、
やはり、たいへん美しい…。

ちゃんとした訳、さらには歌える訳、というのは、到底こんな、鼻歌書きのポスト(笑)では、つけることはできませんが、
まぁ、大体、

雨の中、私の心は流れてみんな、あなたの体の上に、
そして(そう)二人の運命は互いに絡み合う、

それが2回繰り返され、それぞれ

だめ、私はもっと欲しいのよ、だめ、だめ、恐がらないで

と結ばれる。。
…いや、こう訳しては、ちょっと残念な感じですが、、w

なお、土曜のThe Voiceでこの歌を歌った子は、落選してしまったのですが、、このヴィデオもクリップしておきます:

Juliette Armanet (Je te sens venir) | Zoé Mansion | The Voice France 2018 | Blind Audition

みていると、フランス人のjuryが、歌詞を聴き進めていくにつれて、 クスクス笑っています。
特に、1箇所、Oh là làと入れているところ。
これは、19歳というこの子自身のアイディア、表現だと思いますが、
ここに象徴されるように、
juryたちが何度も口にしている通り、charmante、
とてもチャーミングな解釈、インタープリテーションだった、と思います。

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/172237865396

どうしてWeekendのI Feel It Comingはふつうにクールなのに、フランス語版になると、みんなNon…



どうしてWeekendのI Feel It Comingはふつうにクールなのに、
フランス語版になると、みんなNon !といい出すのか?(Mika談)

The voiceフランス版でjuryのMikaから、タイトルのような質問があり、↑↑
面白かったのでメモしておきます;)

Mikaは、フランス語もナチュラルに話しますが、フランス人ではなく、ロンドン在住ということで、フランス語のちょっと不自由な人(知らない単語や表現が時々出てくる)という、
コスモポリットなフランスでは珍しいキャラでTF1、The Voiceでは活躍しております;)

そこで、まずはフランス語版の作者、Juliette Armanetのテイクを聴いてみてください:

Juliette Armanet - Je te sens venir (LIVE) Le Grand Studio RTL

↓↓のテイクの方が、さらにはっきりする、かもしれませんが。。

Juliette Armanet - I feel it coming (The Weeknd cover) sur RFM

如何でしょうか?
フランス語を齧ったことのあるひとなら、すでに、むむむー(笑)という感じではないでしょうか?;)

…こちらにクリップしたテイクでは、このセクシャルな歌詞を、司会の男性の目を見て歌いかける格好になってしまったことで、出だし、思わず弾き間違えたりするなどもしていますね;)

次に*ふつうにクール*な原曲、
The Weeknd ft. Daft Punk版を聴いてみてください:

The Weeknd - I Feel It Coming ft. Daft Punk

…如何でしょうか?(笑)

ジュリエット・アルマネはユーモアを含んで歌っており、
Weekendはひたすら*かっこよく*歌っている、
しかしアルマネ版にはある種の緊張感があり、
Weekend版にはデタント感、リラックス感がある、
というあたりは、たとえ歌詞が聞き取れなくても、なんとなく伝わるのではないのでしょうか?

さて、この違いがどこからくるか…なのですが。。
もちろんweekend版にも、
I can feel the heat between your legs、みたいな、あけすけなことばも聞こえてきます。
しかし、これはRnB、ブラコンの黄金時代の定番だった、
愛撫させてよ、髪をほどいて、フックを外し…
的な、お口説きソングの形をそのまま踏襲している、
つまり、よくある、おなじみのパターン、なわけですね;)

一方、確かにArmanet版は、歌詞にもある通り、さらに直裁に、
セックス自体にがつん、と入っていきます;)
けれどそれ以上に、歌い手、発話の出所が女性である、
女性が積極的に、主体的に、セックスを求める歌である、
ということが、明らかに、ここにはある、
やはり、ここには、ふつうに、ジェンダー・イシューがある、という気はします。

…ノン・コミュニケイション理論の見地からいえば、タイトルおよびルフランの、原詞で客観的、物語的なitが、仏訳では、直示的、コミュニケーション的なte(あなた)に変えられている、ということも大きく、見過ごすことはできませんが。。

Weekend版にはないユーモアがArmanet版にはある・必要とされるのも、あるいはその辺りに由来するものかもしれませんが、

こういってはあれですけども(笑)今はなき、「パンプキン・パイとシナモン・ティー」「雨宿り」当時の(!)のさだまさしをちょっと思い起こさせるようなユーモア、かもしれません(笑)

しかし、それにしても、このルフランの前の

Sous la pluie, mon cœur coule tout contre ton corps
Et nos destins s'enroulent
Non, j'en veux encore

Sous la pluie, mon corps roule tout contre ton cœur
Oui, nos destins s'enroulent
Non, non, n'aie pas peur

この雨のイマージュ、表現、修辞は、
定番通り、オリジナルなものではないかもしれませんが、
やはり、たいへん美しい…。

ちゃんとした訳、さらには歌える訳、というのは、到底こんな、鼻歌書きのポスト(笑)では、つけることはできませんが、
まぁ、大体、

雨の中、私の心はみんなあなたの体に流れ落ち、
そして(そう)互いの運命はひとつに絡み合う、

それが2回繰り返され、各々

だめ、私はもっと欲しいのよ / だめ、だめ、恐がらないで

と結ばれる。。
…いや、こう訳しては、ちょっと残念な感じですが、、w

なお、土曜のThe Voiceでこの歌を歌った子は、落選してしまったのですが、、このヴィデオもクリップしておきます:

Juliette Armanet (Je te sens venir) | Zoé Mansion | The Voice France 2018 | Blind Audition

みていると、フランス人のjuryが、歌詞を聴き進めていくにつれて、 クスクス笑っています。
特に、1カ所、Oh là làと入れているところ。
これは、19歳というこの子自身のアイディア、表現だと思いますが、
ここに象徴されるように、
juryたちが何度も口にしている通り、charmante、
とてもチャーミングな解釈、インタープリテーションだった、と思います。

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…あの夏、ベルリン。。
2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
ようこそ、旅行記と文学論の、ナラティヴな“街の迷路”へ。

『ベルリン日和』
“A moment.” …それは《気づき》の時。

作品についてのコメントはこちら

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/172237860296

After you’ve gone… – What we will miss the most of Obama…



After you’ve gone…

– What we will miss the most of Obama presidency.
…どこか、あの虹の彼方に:the force of words.

バラク・オバマのシカゴでの大統領告別演説を聞きました。
まだの方は、こちらから:
「民主主義の危機の深刻さと、未来への希望」。
おそらく、この2点に要約されるaddressだろう、と思います;)

もちろん僕は、オバマが全て正しいことをした、とは思いません。
明らかに誤った選択もあれば、あまりに不十分だったこともある。
保守の立場からのみならず、
前回ポストで上げたチョムスキーのように、
プログレッシヴの立場からも、数々の批判があるでしょう。
なんといっても政治家です。
嘘もあれば、妥協も数多あったでしょう。

が、しかし、、ですよ;)
この人くらい、“正論”を吐き続けた米大統領、というのも、
まぁ、ちょっとほかに例がないでしょう。
そのため、政治家ではなく講義を垂れる学者のようだ、
理知的で冷たい、という批判も常にありました。。

“本音”こそが最も“真実”に“近い”重要なものであり、
“正論”などというのは、“モノの判った大人”から見れば冷笑すべきものに過ぎず
「理想」*ごとき*は一種の*寝言*でしかない…
というのが、日本の封建的な“伝統”に根ざす、
地に足の着いた“粋な大人”の常識だ、という考えもあるでしょう。。

But again - だがまたしかし、、です;)
アメリカ大統領、という、オフィシャルには、オープンには、
世界で最も強大な権力の座に就いている人が、
ここまで正論を吐き続ける、というのはタダごでとはない。
吐き続ける本人にとってそうである、あったのみならず、
それを聞き続けるアメリカ人、
世界の全ての人々——少なくとも、世界の全ての英語の判る人々、
とりわけ子どもたちにとって、
それは、“タダこと”ではなかったのです。
もしかしたら、こんなことは、もう二度と起こらないかもしれません。。

…“正論”とは、なにか。
それは、*赤*は*赤*であり、*青*は*青*である;
*りんご*は*りんご*であり、*朝日*は*朝日*であり、
*未来*は*希望*であり、*正しいこと *は*正しい*のであって、
たとえ全世界がそれを否定したとしても、
*正しいこと*とは永遠に、昨日も、今日も、明日も、
未来、永久に、普遍的に、*正しいこと*なのだ…
ということです;)

そこで僕は、
2014年のホワイトハウス・コンサート第1曲目を歌い出す前の、
パティ・ラベルのことばを思い出したのです:
パティ・ラベルは、ここで招いてもらったこととあわせ、
オバマのプレジデンシーへの感謝を述べます。曰く
大統領は、このホワイトハウスを、
ずっと長い間だれも私たちを連れて行かなかった場所へと連れて行ってくれた。
どこか、あの虹の彼方へ…。
…もちろん、これはショービジネス、
歌いはじめる曲「虹の彼方へ」の導入、です。
にしても、ややちょっと大げさなのではないか。。
最初にこのコンサートを見た時は、僕もふつうにそう思いました:)

しかし、いま、まさにそのWhite Houseの主が、“アダムス・ファミリー”になろうとしている今日(笑)
Patti LaBelleのこのことばは、あながち誇張でもなかったか。。
と思えるのです;)
Here we are now, 8 years after, letting an “Addams Family” move into this same house, I kinda wonder if what Ms. LaBelle said was not that exaggeration as I thought when I heard it first time: Pres. Obama took this wonderful house called the White House, and all of us, to “somewhere over the rainbow"… ;)

今度の大統領は、本質的な差別主義者ですが、
それは思想信条に基づくものではなく、パトロジーで、
プラクティカルには、自分の得になることは、何でも受け入れます。
その*自分の得*の延長に、*アメリカの利益*があり、その遥か彼方には、*全人類の幸福*も、順当にあるのかもしれません…。
その意味で、いくらでもネゴシアーブル、交渉可能です。
「これはまた、結構な人が大統領になった…」
と、ネゴシエーションに自信のある人たちがほくそ笑んだとしても当然です(笑)
また、結果的に、プラクティカルに、この大統領がいいポリシーを選択し、実行していく可能性も、もちろんあります。

しかし、ひとつだけ確実なのは、
この先少なくとも4年間、
*アメリカ大統領*のことば——ことばの力に、
世界は、感動することはないでしょう。
バラク・オバマ去りしあと、
僕らが失う最も大きなものは、
いちばん残念に、懐かしく思い起こすのは、
おそらく、この感動ではないか…と思うのです。

…というわけで、このポストのコンクルージョンとして、
最後にその2014年のホワイトハウス・コンサート
パティ・ラベル「虹の彼方に」を聴いて下さい:)


Patti LaBelle sings ‘Over The Rainbow’ at the White House concert - Women of Soul - 2014

Patti LaBelle & The Bluebells - Over The Rainbow

#if a teeny weeny bird can get up and fly over the rainbow, why oh why can’t I ?


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Victor Wooten – Isn’t She Lovely (via…



Victor Wooten - Isn’t She Lovely

(via https://www.youtube.com/watch?v=eynnYLXW3Fo)

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/144198633263

World without Prince.…プリンス。それは、ひとつの《可能性》だった。 (Photo:…



World without Prince.

…プリンス。それは、ひとつの《可能性》だった。

(Photo: http://amsterdamnews.com/news/2016/apr/21/remembering-prince-music-superstar/ )

どうしようか、と思ったのですが、やはりこのポストは立てておくことにします。

ここ数年、80年代を代表した、アメリカ・ブラック・ミュージックの巨星が奇しくも相次いで世を去りました。

いうまでもなく、Whitney、Michael、そして今回のプリンス、です。

Michaelの場合は芸歴が長いですが、いずれも'80年代の期待の星だった人たちで、夭折というわけではないけれど、まだまだこれから後半生の活躍を当然のように期待されていた、
そういう意味で、若すぎる死だった、ということも共通し、同じくその意味で相通ずる衝撃を与えた、ということもいえます。

TwitterFacebookで僕をフォローして下さっている方は、 Whitneyの時の僕の動揺ぶり、というのをあるいはお気づきかもしれませんから、
またか。。とお思いかもしれません;)
いや、WhitneyやMichealの時とはまた違う、などといっても、
うんうん、それが悲しみの本質、ってもんだよ、
と納得されてしまうのでは、とも思います;)

しかしここにはやはり、ひとつ、質の違うなにかがある。
その辺りを書き残しておきたい、と思うのですが。。。

見ていると、意外なことに、プリンスの死に対する反応は、Whitney、Michaelの時以上に、さらに深く、強いようにも感じます。

いや、意外、というのは、あれだけの大スターで、あれだけの仕事を残した人ですからおかしく聞こえるかもしれませんが、
あるいはこれは、僕のだけの個人的な印象ではないかもしれません。

僕は、プリンスは、まず音楽がすごいと思うし、同時代の天才、といえばおそらくいちばんに、プリンスを挙げるくらいでした。
けれどこうなってみるまで僕自身気づかなかったのですが、じつはプリンスという存在は、MichaelやWhitneyのような、時代を代表するスター、というよりも、
同時代の、プリンスの音楽に触れた人、全てのあり方やものの考え方に、根っこから関わってくるような、そういうものだったように思います。

様々な思い出に結びついて懐かしく、いつも頭上に燦然と輝いていた存在、というより、もっとパーソナルに、つまり自分自身の内面や、世界認識に関わっていた、といってもいいかもしれません。

だからこそ、この逝去に対する静かな、しかし思いがけないほどの熱い反応が生まれてきたのだなぁ…と思うのですが。。
このあたりがなかなか日本、というか、日本語圏というかでは、うまく伝わっていないのではないでしょうか。

CNNのDon Lemonは、プリンスの最大のメッセージは、
It’s OK to be different
だった、と簡単にいっていました。

続けてみていると、ほかにもいろいろなアンカーやゲストたちが、ばらばらに、それぞれの番組で、
ハンサムだけど、一般的なハンサムじゃない、
セクシーだけど、所謂セクシーなタイプとは違う、
歌はもちろんうまいけど、JBみたいな意味で、いい声を持ってるわけじゃない、、、
などと、口々にいっていました。

アメリカのアフリカ系の男性で、ゲイじゃないのに化粧をする人はいない、とも;)

そもそもPurple Rainに先立つControversyアルバムで、

Am I black or white, am I straight or gay?

と、マイノリティ・グループにさえ同一化できない自分、
どこにも属することのできない自分、というものを歌っていたプリンスです。

↓↓のtweetにインクルードされたヴィデオでは、そのことを、Don Lemonがやや落ち着いて(それでもまだ興奮しながら;)話しています:

…このDon Lemonというアンカーに僕が気づいたのは、当時真面目にCNN intlを契約視聴していたところ、たまたまWhitneyの逝去が週末で、まだやや控え的に、週末を担当していたこの人が、そこからほぼ丸一日に近いフル・カヴァレッジを一人でやった、
そのいちばん最後に、I hope we’ve done. 的な簡単なひと言で、全体を締めくくったのですが、それが僕には、
自分たちにできるだけのことはやり切った、そう思いたい、
というようにも聞こえ、
非常に印象に残り、以来時々気をつけて見ている人です;)

天才、といった時、典型的に僕が連想するアーティストの一人が、ピカソです ー というと、これまたごくごくありきたりなチョイスですが;)
僕がほんとにそう思ったのは、'90年初頭代に、パリのピカソ美術館 Musée Picasso (Paris) へ行ったから:いまのピカソ美術館と比べると、圧倒的に展示スペースが少なく、圧倒的に展示作品数が多かった(笑)
質、量、アイディア、全てが桁外れに、とどまるところなくどんどん溢れ出す、
ほんの数メートルの間にクロノロジックに、圧倒的なヴァライエティが、
毎年毎年、ひとつのエピックと呼びたいくらいに独自な作品群として、
しかも圧倒的な量で、めまぐるしく生まれ、惜しげもなく変わり、どれも、みんな面白い。
もう、見るものを、出し惜しみのない、いや、そんな必要全くないし、不可能な、文字通り、天才の軌跡で打ちのめすような、当時のパリの美術館でした。

こんなこと、常人にはできるわけがない。
つまり天才、というのはある種の《例外》で、
プリンスの場合も、まず音楽からいって、R'n'B、ソウル、ファンク、ロック、ダンス、クラブ、といろいろいってみても、どれにもしっくりとは当てはまらない。
それ自体が既に、まさに天才の発現、ではあるのですが、
その結果、逆に、
R'n'Bって、ソウルって、ファンクって、と説明しようとすると、
すぐに「でもじゃあ、プリンスの場合は?」という反問が浮かんでくる。
それがさらに広がって、
ブラック・ミュージック、アメリカのポップ・ミュージック、
アメリカのアフリカ系のカルチャー、アメリカのポップ・カルチャー、
と考えて行っても、「でも、プリンスは?」という問いかけが、常に割り切れない部分として後に残ってくる…。
ということは、プリンスという一人の《例外》のために、そこまでの考え、常識を全部変更しなくてはならなくなる、ということで、
それはつまり、その分、
プリンスがいた分、確実に、世界が広くなった、
ということです:
待てよ、でもプリンス、っていう場合だってある。
そう考えられる、ということは、ひとつの大きな可能性、だったのです。

もっと日常的な、コンクリートな例でいえば、
こうだから歌が上手い、こうだからダンスが上手い、こうだから格好いい、こうだからセクシー。
そういう常套的な価値観をみんな、
だって、そしたらプリンスは?
この問いかけでチャラにしてしまう。
その意味で、人の精神、エスプリを、ひとつ、確実に自由にすることのできた、それがプリンスで、

It’s OK to be different.

というのは、つまりそういうことだと思うんですね;)

また、プリンスには、出し惜しみがない、という《天才》のキーワード↑↑もほんとうによく当てはまりました。

だいたいダブル・アルバム、というのは屢々ありますが、だったら例えば3枚組、というのはすごい、もちろんさらにすごい、
でもやり過ぎというか、一体何がやりたいのか、というか《???》。。というか(笑)
常人にはやや理解しかねるところがありませんか;)

プリンスという名前を使わせなくしてしまう、などといった時期もありましたが、あれだって、とても現在世界に氾濫している目先の金儲けのためのマーケティング、ということでは理解しきれないものでした。到底ポピュラー・ミュージックをやりたい人の発想ではない。
しかもプリンスというのは、本当の自分の名前、親のつけた本名らしいですね…。

さらにアルバムにタイトルを付けない:)

…Black album、と呼ばれておりましたが;)

名前同様、アルバムタイトルを、発音不可能なものにする:)

…通称アルバム名、Love symbol;)

問題のトリプル・アルバム、というのの誕生も含め、このあたり、背景にレコード会社との契約の問題があったとも、今回の逝去の大量のアメリカTV報道の中で改めて説明されていました。
しかしそれに先立つ10数年前に、既に4枚組(!)をものしていたことを忘れてはなりません(笑)

…さらにこちらも4枚組。

…出し惜しみない天才ぶり、などと形容したくなるのも、お判りいただけるのではないでしょうか。。

音楽も、文学についてもそうですが、僕は作品を聴いたり読んだりする、ということにまず興味があり、たいていの場合はそれで満足してしまいます。
アーティストの伝記的な事実、というのにはほとんど関心がなく、基本的にどうでもいい、と思っているのですが(笑)

…アーティストについて、こういう人生を送ったからこそこういう作品を作った、というのは完全に非科学的な(論証・反証不可能な)結果論に過ぎない、こじつけの場合がほぼ、全て、です;)

だからこそかえって、というか、いざ好きなアーティストのバイオグラフィーを読むとほんとに面白いなぁ、と思います(笑)
つまり、僕にとってエピテクストは、ほんとにいい意味で《おまけ》なわけです。
そういうわけで、今回も、プリンス逝去の報道の中で、初めていろいろなことを知りました。

プリンスが、自分の、ひいてはアーティスト全般の権利を守ることに、非常に意識の高かった人であることは有名だったし、
↑↑のアーティスト名を使わせない、アルバム名をつけない、読めないアルバム名をつける、というのもみんな、特に版元、レコード会社・レコード会社との契約との闘争の姿勢の現れであることは、容易に想像がつくでしょう。

名前のないアーティスト、アルバムを、どうやってレコード会社は販売すればいいのか。
作品をコントロールする力は作品の作者、アーティストにこそあるのだという強烈なマニフェスタシオン、示威行為はないでしょうか。

こういう有名な写真もあります:

(Source: http://theconversation.com/how-princes-quest-for-complete-artistic-control-changed-the-music-industry-forever-58267 )

SLAVE=奴隷、とステージで自分の顔に書き記すのも、レコード会社、音楽ビジネスに対する痛烈な批判です;)

デジタル・コンテンツの世界にパイオニア的に切り込んだ観のあるプリンスが、デジタル時代のアーティストのviability、
どうやってこの時代をアーティストとして生き抜いて行くか、ということを先鋭的に考えていたことも、改めてよく判りました。

これではアップルとgoogleとamazonしか金が稼げない仕組みになっている、
と僕が再々くり返しているのと、完璧にidentique、同じ批判をしていた、というのみならず、
(…こちらも参照。)
その一方で、若い人がappを自分でどんどん作れるよう、プロジェクトを財政面でサポートしていた、など。

今回僕がいちばん考えたことは、ひとつ、そこで、やっぱりデジタル・コンテンツにまじめに取り組まなくちゃなぁ、ということ。
お金にならないから、とめんどくさがらずに、やはり、どうやってデジタルと関わって行くべきなのか。
これは、ほんとに考えさせられました。

でその結果、何をしたか、というと、とりあえず、twitterとinstagramを非公開アカウントにした、というだけなんですけど(笑)
どうしてそうなるかは、少しずつかたちにして行ければいいなと思います;)

どんどん登録して下さい!Twitter ; instagram

…ということで、このポストの締めくくりとしては、やはりこの1曲を聴いていただきましょう。

とにもかくにも、プリンスはこの世を去りました。
Whitney、Michaelと来ても、またしても、まったく予想していませんでした。迂闊、というほかないでしょうが、
プリンスが存在する、ということは、僕にとって、
じつはそれほど当たり前だった、
世界というのは、常にプリンス込みで、プリンスを勘定に入れて、
(つまり、先に書いたように、ひとつの可能性として)
考えられるものだったのだなぁ、といまにしてしみじみ思います。
しかしプリンスによって、プリンスがいたことによって、
確実に広げられたこの世界は、
たとえプリンス自身はこの世を去っても、
永遠に、プリンスの分、広くなって、そのままなのです。

Prince Rogers Nelson (June 7, 1958 – April 21, 2016), R.I.P.


(Source: https://youtu.be/F8BMm6Jn6oU )

初めてのプリンス、なら ベスト盤 Prince - Hits & B-Sides

#RestInPurple


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SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/144042099130

“Hello?” – Is it me you’re looking for ? ;) #quote…



"Hello?"
- Is it me you’re looking for ? ;)

#quote #lyrics #words #funny #lol #lostandfound #rnb #r’n’b #lionelrichie

SOURCE: http://yuichihiranaka.tumblr.com/post/98146596365